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2026年8月29日 (土)

8月25日はパリ解放の日!4年間の占領から「花の都」が解放された日

1944年8月25日、フランスの首都パリがドイツ軍の占領から解放されました。

ノルマンディー上陸作戦から約2か月半。

連合軍がフランス各地を進撃する中、ついに「花の都」パリにも解放の日がやってきました。

第二次世界大戦のヨーロッパ戦線を象徴する出来事の一つです。

 

パリは本来、攻略する予定ではなかった

1944年6月6日のノルマンディー上陸作戦以降、連合軍はドイツ軍との激戦を続けていました。

そして8月、ファレーズ包囲戦によってドイツ軍が大きな打撃を受けると、連合軍は一気にフランス東部へ進撃しようとします。

実は連合軍の作戦上、パリは必ずしも重要な軍事目標ではありませんでした。

巨大都市を攻略すれば市街戦になる可能性があり、解放後には市民への食料や燃料の供給も必要になります。

アイゼンハワーは当初、パリを迂回してドイツ方面へ進むことを考えていました。ところが、パリ市内では事態が急速に動き始めます。

 

パリ市民が立ち上がった!

8月19日、パリでレジスタンスによる武装蜂起が本格化します。

警察署や市庁舎などが占拠され、市内各所にはバリケードが築かれました。

しかし、パリにはディートリヒ・フォン・コルティッツ将軍率いるドイツ軍が残っています。

レジスタンスには戦車も重砲もほとんどありません。

このままでは蜂起がドイツ軍によって鎮圧される可能性もありました。

そこで重要な役割を果たしたのが、シャルル・ド・ゴールとフィリップ・ルクレールです。

ド・ゴールにとってパリ解放は単なる軍事作戦ではありません。

「フランスの首都はフランス人自身の手によって解放されなければならない」

という大きな政治的意味がありました。

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ルクレールの第2機甲師団、パリへ!

ド・ゴールらの強い働きかけもあり、アイゼンハワーは方針を変更します。

ルクレール将軍率いるフランス第2機甲師団(2e DB)とアメリカ第4歩兵師団がパリへ向かうことになりました。

8月24日夜、第2機甲師団の先遣隊がパリ市内に到達。

そして翌8月25日早朝、第2機甲師団主力とアメリカ第4歩兵師団がパリへ突入します。

パリ市内ではドイツ軍の拠点をめぐって戦闘が続きました。

 

ドイツ軍司令官フォン・コルティッツ降伏

フランス軍はパリ市内のドイツ軍拠点を次々と攻略します。

ドイツ軍パリ防衛司令官フォン・コルティッツの司令部が置かれていたホテル・ムーリスも攻撃され、コルティッツは捕虜となりました。

そして8月25日午後、降伏文書に署名。

約4年間続いたドイツ軍によるパリ占領は、ついに終わりました。

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「パリは解放された!」

その日の夕方、ド・ゴールがパリに到着します。

そして市庁舎前で、有名な演説を行いました。

「パリは傷つけられ、破壊され、殉教した。しかし、パリは解放された」

翌8月26日には、ド・ゴールが凱旋門からシャンゼリゼ通りを歩き、沿道を埋め尽くした市民から熱狂的な歓迎を受けます。

パリ解放は軍事的勝利であると同時に、フランスという国家が復活したことを世界に示す巨大な政治イベントでもあったのです。

 

この戦いを体験できるウォーゲーム

パリ解放そのものをテーマにしたウォーゲームもあります。

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『La Libération de Paris』

1994年にフランスのゲーム誌『Casus Belli』82号に収録された、パリ解放をそのものズバリ扱ったソロプレイ専用ウォーゲームです。

プレイヤーはFFI(フランス国内軍)、ルクレールの第2機甲師団、アメリカ第4歩兵師団を指揮。

ドイツ軍側はゲームシステムによって動かされます。

つまり、1944年8月のパリ解放をフランス・連合軍側から追体験するゲームです。

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『2ème D.B. 'II' Paris』

こちらも非常にストレートな作品です。

1984年に発売されたフランス製ウォーゲームで、1944年8月24~28日のフランス第2機甲師団によるパリ解放戦を扱っています。

まさにルクレールの第2機甲師団を主役にしたゲームです。

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『Victory in Normandy』

もう少し大きな視点からパリ解放を見たいなら『Victory in Normandy』。

ノルマンディー上陸翌日の6月7日から、パリが解放される8月25日までのフランス戦役を扱います。

1ターン=1日、部隊は主に師団規模。

ノルマンディーの橋頭堡から始まり、ドイツ軍戦線を突破して、最終的にパリへ到達するまでを一つのキャンペーンとして見ることができます。

 

ウォーゲームで考える「パリを解放するべきか?」

パリ解放をウォーゲーム的に見ると、おもしろい問題があります。

「そもそもパリを攻略する必要があるのか?」

です。

軍事的な効率だけを考えれば、パリを迂回してドイツ軍を追撃した方がよいかもしれません。

しかし政治的には、フランスの首都を誰が、どのように解放するのかは極めて重要でした。

戦争では、必ずしも「軍事的に最も合理的な選択=戦略的に最も正しい選択」とは限りません。

政治、国民感情、補給、時間、そして戦後まで考えて決断しなければならない。

ここがウォーゲームのおもしろいところでもあります。

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歴史を知れば、ウォーゲームはもっとおもしろい!

1944年8月25日。

パリは約4年間のドイツ軍占領から解放されました。

しかし第二次世界大戦は、まだ終わっていません。

連合軍はここからベルギー、オランダ、そしてドイツ本土へ向かって進撃していきます。

そして、その途中にはマーケット・ガーデン作戦、ヒュルトゲンの森、バルジの戦いなど、ウォーゲーマーにはおなじみの戦いが待っています。

パリ解放は「戦争の終わり」ではなく、西部戦線がドイツ国境へ向かう新しい段階の始まりでもありました。

歴史を知れば、ウォーゲームはもっとおもしろい!

2026年8月15日 (土)

1945年8月15日、日本軍はどこで戦っていたのか?

8月15日は「終戦の日」です。

1945年8月15日正午、昭和天皇の玉音放送によって、日本がポツダム宣言を受諾したことが国民に伝えられました。

では、ウォーゲーマーらしく、この日の各地の戦況を眺めてみましょう。

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1945年8月15日の盤面を広げたら、日本軍はどこにいるのでしょうか?

実は、日本軍が地上からほとんど消えていたわけではありません。

日本本土はもちろん、満洲、中国、朝鮮、台湾、東南アジア、フィリピン、ニューギニア、太平洋の島々まで、まだ多数の日本軍が残っていました。

ところが、世界全体を俯瞰すると違った景色が見えてきます。

日本軍はまだ各地に残っている。
しかし、戦略的にはすでに追い詰められている。

1945年8月15日は、そんな盤面でした。

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満洲-ソ連軍の大攻勢

まず日本の北、満洲を見てみましょう。

8月9日、ソ連が対日参戦。

ソ連軍は満洲へ大規模な攻勢を開始しました。

対するのは、日本の関東軍です。

「関東軍」と聞けば強力な軍隊というイメージがありますが、1945年には精鋭部隊の多くが他戦線へ転用され、戦力は大きく低下していました。

そこへソ連軍が複数方向から一気に侵攻してきます。

ウォーゲームでこんな盤面になったら、かなり厳しい。

部隊がたくさん残っていることと、戦略的に有利であることは同じではありません。

8月15日になっても満洲では戦闘が続いていました。

 

中国-まだ巨大な日本軍が残っていた

中国大陸にも、まだ多数の日本軍が存在していました。

日本軍と中国軍が広大な戦線で対峙しています。

つまり8月15日に日本が降伏したからといって、

「日本軍はもう本土にしか残っていなかった」

わけではありません。

中国では日本軍が依然として広い地域に展開していました。

ここがウォーゲーム的に興味深いところです。

まだ部隊はある。
まだ占領地域もある。
しかし、戦争全体では勝利する手段がなくなっている。

戦術レベルと戦略レベルでは、まったく違う景色が見えるのです。

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沖縄・硫黄島-すでに米軍が占領

太平洋側を見ると、さらに状況は厳しくなります。

硫黄島では3月に組織的戦闘が終結。

沖縄でも6月には組織的戦闘が終わっていました。

さらにサイパン、グアムなどの重要拠点もすでに米軍側です。

これは単に島をいくつか失ったという話ではありません。

連合軍は日本本土のすぐ近くまで前進し、航空基地や海軍基地を確保しています。

ウォーゲームでいえば、

敵の前線基地が自分の本拠地のすぐ近くまで迫っている状態

です。

日本本土にまだ多数の部隊が残っていても、位置関係を見るだけで危機的な状況であることがわかります。

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フィリピン-米軍の中で孤立する日本軍

フィリピンも太平洋戦争を象徴する戦場です。

1944年10月のレイテ上陸以降、米軍によるフィリピン奪回作戦が進み、1945年夏には主要地域で米軍が圧倒的に優勢となっていました。

しかし、日本軍が完全に消滅したわけではありません。

ルソン島などには多数の日本軍が残っていました。

つまり、

米軍が主要地域を押さえ、その中に日本軍が孤立して残っている。

という状態です。

部隊は存在する。

しかし、他の戦線と連携できない。

これも1945年夏の日本軍を象徴する状況でした。

 

東南アジア-まだ日本軍がたくさん残っている

さらに盤面を南へ動かします。

タイ。

マレー半島。

シンガポール。

仏印。

スマトラ。

ジャワ。

こうした地域には、8月15日時点でも多数の日本軍が残っていました。

一方、ビルマでは英軍・英連邦軍が日本軍を押し返しています。

ボルネオでも豪軍を中心とした連合軍が上陸し、日本軍との戦闘が行われていました。

つまり東南アジアを見ると、

日本軍はまだ広大な地域に存在しているものの、その周囲では連合軍の反攻が進んでいる。

という状況になっています。

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ラバウル-強力な部隊がいても動けない

1945年8月15日の状況で、ウォーゲーマーとして特に注目したいのがラバウルです。

ラバウルには終戦時にも大規模な日本軍が残っていました。

しかし連合軍は、ラバウルを正面から攻略するのではなく、周囲の重要拠点を奪って孤立させました。

ウォーゲームなら、

「孤立」
「補給切れ」

といったマーカーを置きたくなる状況です。

強力な部隊でも、

補給が来ない。

移動できない。

他の戦線へ影響を与えられない。

そうなれば、盤上に存在していても戦略的価値は大きく低下します。

敵軍を全部撃破しなくても、その軍を無力化することはできる。

太平洋戦争後半の連合軍の戦略を考える上で、とてもウォーゲーム的なポイントです。

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そして「海」を見る

1945年8月15日の状況で最も重要なのは、陸上にどれだけ日本軍が残っているかではないかもしれません。

海です。

日本軍は中国にも、東南アジアにも、太平洋の島々にも残っています。

しかし、それらを結ぶ海上交通路はほとんど機能しなくなっています。

輸送船を失い、燃料も不足し、制海権と制空権は連合軍側にあります。

日本本土。

中国。

東南アジア。

ラバウル。

それぞれに日本軍が残っていても、その間を結ぶことができない。

ウォーゲームで補給線を切られた経験がある人なら、この状況の深刻さはすぐに想像できるでしょう。

部隊が残っていることと、その部隊を戦略的に使えることはまったく違うのです。

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そしてソ連参戦

そこへ8月9日、ソ連軍が参戦します。

日本から見れば、すでに太平洋側では米軍を中心とする連合軍に押し込まれています。

中国では中国軍と戦っている。

ビルマでは英軍・英連邦軍が攻勢を続けている。

そして満洲には、新たにソ連軍が大規模に侵攻してきた。

太平洋戦争全体を眺めれば、

「もう一つ新しい戦線が増えた」

というだけの話ではありません。

日本の戦略そのものを大きく揺るがす出来事でした。

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次のターンは「日本本土決戦」

もし日本が降伏しなければ、その先にはさらに巨大なシナリオが待っていました。

連合軍による日本本土侵攻作戦、

「ダウンフォール作戦」

です。

第一段階の「オリンピック作戦」は九州南部への上陸。

続く「コロネット作戦」は関東地方への大規模上陸を想定していました。

ウォーゲーマーなら、どうしても考えてしまいます。

日本軍はどこに部隊を集中するのか?

連合軍はどこへ上陸するのか?

航空優勢は?

補給は?

艦砲射撃は?

予備兵力は?

1945年8月15日に戦争が終わらなければ、

次のターンは「日本本土決戦」だったのです。

 

1945年8月15日の状況を考えると

もう一度、太平洋戦争全体を眺めてみましょう。

日本本土には日本軍。

満洲ではソ連軍が大攻勢。

中国では日本軍と中国軍が対峙。

沖縄、硫黄島、サイパン、グアムはすでに米軍側。

フィリピンでは米軍が優勢となり、日本軍が各地に残存。

ビルマでは英軍・英連邦軍が日本軍を押し返している。

東南アジアには、まだ多数の日本軍。

ラバウルにも大規模な日本軍が残っている。

しかし、その日本軍を結ぶ海上交通路は寸断されている。

こうして全体を見ると、

日本軍はまだ戦える場所があった。
しかし、日本という国家が戦争を続けられる状況ではなくなっていた。

ということが見えてきます。

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「敵軍全滅」が戦争の勝利条件ではない

ウォーゲームには、さまざまな勝利条件があります。

敵部隊を撃破する。

重要都市を占領する。

補給線を切る。

制海権を確保する。

一定期間、重要拠点を保持する。

政治的な条件を達成する。

敵軍を一兵残らず倒すことだけが勝利ではありません。

1945年8月15日。

日本軍はまだ世界各地に大量に残っていました。

それでも戦争は終わりました。

正式な降伏文書への調印は9月2日、東京湾の戦艦ミズーリ艦上で行われます。

軍隊が残っていることと、戦争を続けられることは違う。

1945年8月15日の盤面を広げてみると、そのことがよく分かります。

8月15日は「戦争が終わった日」。

ウォーゲーマーにとっては、

「戦争は、どうなった時に終わるのか?」

を考えてみる日でもあるのかもしれません。

2026年8月11日 (火)

8月11日は「山の日」! OCS『ビルマ』でインパール作戦を考える

8月11日は「山の日」です。

ウォーゲーマーなら「山の日」に、山岳地帯での戦いについて考えてみるのもおもしろいでしょう。

第二次世界大戦における山岳地帯での戦いの中でも、日本人にとって忘れることのできないものの一つがインパール作戦です。

1944年、日本軍はビルマから国境を越え、インド北東部のインパール攻略を目指しました。

インパールの町は周囲を山々に囲まれたインパール盆地にあり、標高は約790m。

しかし、この作戦で本当に大変だったのはインパールの標高そのものではありません。

そこへたどり着くまでの道のりでした。

 

インパールへ続く「山」

日本軍はビルマ側からチンドウィン川を越え、インド・ビルマ国境の険しい山岳地帯を越えてインパールへ向かいました。

そこには山岳とジャングルが広がり、利用できる道路も限られています。

地図の上なら、目的地まで線を引けば終わりです。

しかし、実際の軍隊は兵士だけでは動きません。

食料、弾薬、燃料、医薬品など、大量の物資を前線まで継続して届ける必要があります。

ましてや山岳地帯では、大部隊を動かせるルートも、物資を運べるルートも限られます。

「そこまで進める」ことと、「そこで戦い続けられる」ことは全く違うのです。

 

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OCS『ビルマ』で体験するインパール作戦

このことをウォーゲームの盤上で実感できるのが、OCS(オペレーション・コンバット・シリーズ)の『ビルマ』です。

OCSでは「補給」がゲームシステムの重要な部分を占めています。

敵をどう攻撃するのか。
どこまで前進するのか。
そこまで補給できるのか。
どの道路を確保するのか。
貴重な補給ポイントをどこへ運ぶのか。

強力な部隊を前へ出せば、それだけで勝てるわけではありません。

前進した部隊を戦わせ続けるためには、その後ろから補給がついてこなければならないのです。

OCS『ビルマ』でインパール作戦をプレイすると、山岳とジャングルに覆われた戦場で、「軍隊を動かす」ということそのものの難しさが見えてきます。

敵軍だけを見ていてはいけません。

山も、ジャングルも、そして補給も敵なのです。

 

実際にOCS『ビルマ』でインパール作戦をプレイしました

ミドルアースのゲーム会でも、OCS『ビルマ』のインパール作戦を実際にプレイしています。

当時の様子は、ウォーゲーム武芸帳にプレイレポートとして残っています。

山岳とジャングルに覆われたビルマ戦線を、OCSではどのように再現しているのか。

ぜひ当時の盤面と一緒にご覧ください。

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OCS『ビルマ』インパール作戦 プレイレポート(2020年7月)
http://sunsetgames.cocolog-nifty.com/slg/2020/07/post-5b37dc.html

 

OCS『ビルマ』をもっと読みたい人はこちら

ウォーゲーム武芸帳では、その後もOCS『ビルマ』を取り上げています。

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インパール作戦でラバがパラシュート降下したか?(2021年5月)
http://sunsetgames.cocolog-nifty.com/slg/2021/05/post-979d34.html

インパール作戦の日(2022年3月)
http://sunsetgames.cocolog-nifty.com/slg/2022/03/post-bb25e1.html

さらにOCS『ビルマ』を深く研究したい人には、松浦さんのブログもおすすめです。

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松浦さんのOCS『ビルマ』関連記事

ウォーゲームで歴史に思いを馳せる
ミドルアース大阪でOCS『Burma II』インパール作戦シナリオを完遂しました(2020年7月)
http://dsssm.blog.fc2.com/blog-entry-1105.html

OCSプレイヤーなら、こちらもぜひ読んでみてください。

 

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山の日にインパール作戦を考える

インパールの標高は約790m。

数字だけを見ると、とてつもない高山にある町というわけではありません。

しかし、そこへ向かうためには険しい山岳とジャングルを越え、その先まで食料や弾薬を運び続けなければなりませんでした。

ウォーゲームのマップに描かれた一つの山岳ヘクス。
一本の道路。
一つの峠。

ゲーム中は何気なく見ている地形にも、実際の作戦では大きな意味があります。

OCS『ビルマ』をプレイすると、

「山を越えること」と「山を越えて軍隊を戦わせ続けること」は全く違う。

そんなことが盤上から見えてきます。

8月11日は「山の日」。

今日はOCS『ビルマ』を通じて、インパール作戦と「山を越えて戦う」ということを考えてみるのはいかがでしょうか。

2026年8月 7日 (金)

【8月7日】ガダルカナル島上陸の日!ウォーゲームで体験するガダルカナル島を巡る戦い

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1942年8月7日、ガダルカナルに上陸する海兵隊

1942年8月7日、アメリカ軍を中心とする連合軍がソロモン諸島のガダルカナル島に上陸しました。

ここから約半年にわたって続く「ガダルカナル島の戦い」が始まります。

太平洋戦争のターニングポイントとしてよく知られているのが、1942年6月のミッドウェー海戦です。しかし、ミッドウェー海戦が日本海軍の攻勢に大きな打撃を与えた戦いだったとすれば、ガダルカナル島の戦いは、日本軍が連合軍との長期にわたる消耗戦に引き込まれ、戦争の主導権を次第に失っていく転換点の一つとなりました。

なぜガダルカナル島だったのか?

1942年、日本軍は南太平洋方面への勢力拡大を進め、ガダルカナル島に飛行場の建設を始めました。

この飛行場が完成すれば、日本軍はソロモン諸島方面に航空戦力を展開するための重要な拠点を手に入れることになります。また、アメリカとオーストラリアを結ぶ連合軍の交通路にとっても脅威となり得ました。

これを阻止するため、アメリカ軍は1942年8月7日、ガダルカナル島への上陸作戦を開始します。

上陸は日本軍にとって事実上の奇襲となりました。

島にいた日本軍の主力は飛行場建設に従事する部隊で、上陸してきた大規模なアメリカ軍を迎え撃つ準備は整っていませんでした。アメリカ海兵隊は建設中の飛行場を占領し、これを「ヘンダーソン飛行場」と命名します。

この飛行場をめぐって、日米両軍の激しい攻防が始まりました。

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日本軍第八艦隊旗艦だった鳥海

ガダルカナルは「島の戦い」だけではない

ガダルカナル戦というと、ジャングルの中で戦う日本陸軍とアメリカ海兵隊を思い浮かべるかもしれません。

しかし、この戦いのおもしろいところは、陸・海・空すべてが密接につながっていたことです。

ヘンダーソン飛行場を確保したアメリカ軍は昼間の航空優勢を握ります。

一方、日本軍は夜間に駆逐艦などを使って兵員や物資を送り込みました。

これが有名な「東京急行」です。

そしてガダルカナル島周辺では、第一次ソロモン海戦、第二次ソロモン海戦、サンタ・クルーズ諸島海戦、第三次ソロモン海戦、ルンガ沖夜戦など、数多くの激しい海戦が繰り広げられました。

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『太平洋艦隊』でガダルカナル戦役を体験する

このガダルカナルをウォーゲームで体験するなら、サンセットゲームズの『太平洋艦隊』があります。

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『太平洋艦隊』は太平洋戦争の海戦を戦略的な視点から再現するウォーゲームです。

第3版には9本のシナリオが収録され、その中には「ガダルカナル」と「ガダルカナル・キャンペーン」も用意されています。

このゲームで重要なのは、単純に「強い艦隊をガダルカナルへ送ればいい」というわけではないことです。

艦隊を動かす。

航空戦力を投入する。

基地を確保する。

そして、それらを支える補給をどうするのか。

プレイヤーは太平洋という広大な戦場を見ながら、「どこに限られた戦力を投入するのか」を決断しなければなりません。

これこそガダルカナル戦の難しさです。

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『聯合艦隊』なら、ガダルカナルの海戦を戦える!

そして、もっと近い視点からガダルカナルを巡る個々の海戦を体験したいなら、サンセットゲームズの『聯合艦隊』です。

サンセットゲームズ『聯合艦隊』

『聯合艦隊』には、「第一次ソロモン海戦」「ガダルカナル・ルンガ泊地」「サボ島沖夜戦」「第三次ソロモン海戦」「ルンガ沖夜戦」など、ガダルカナル戦役に関連するシナリオが数多く収録されています。

夜のソロモン海を舞台に、日本海軍とアメリカ海軍が激突。「どの艦をどこへ動かすのか」「いつ魚雷を撃つのか」「敵艦隊を発見できるのか」

実際に艦艇を動かしながら、ガダルカナルを巡る激しい海戦を体験できます。

戦役全体を俯瞰する『太平洋艦隊』に対して、個々の海戦を艦隊指揮官の視点で戦う『聯合艦隊』。

同じガダルカナル戦でも、まったく違った視点から歴史を追体験できるのがおもしろいところです。

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2つのゲームを遊ぶと歴史が立体的に見えてくる

ここがおもしろいところです。

『太平洋艦隊』では、ガダルカナル戦役を「司令官」の視点から考える。

そして、

『聯合艦隊』では、その中で起きた海戦を「艦隊指揮官」の視点から戦う。

同じガダルカナルでも、ゲームのスケールが変われば見えてくるものも変わります。

なぜ日本軍はこの海域に艦隊を送り続けたのか。

なぜヘンダーソン飛行場がそれほど重要だったのか。

なぜ補給が戦いの行方を左右したのか。

そして、なぜソロモン諸島周辺でこれほど多くの海戦が発生したのか。

ウォーゲームをプレイすると、歴史書で読んでいた出来事が「自分ならどうする?」という問題に変わります。

 

歴史を知れば、ウォーゲームはもっとおもしろい!

1942年8月7日に始まったガダルカナルの戦い。

日本軍は翌1943年2月にガダルカナル島から撤退し、太平洋戦争は新しい局面へ入っていきます。

歴史を読むだけではなく、自分で艦隊を動かし、航空隊を投入し、補給を考えてみる。

そうすると、80年以上前に指揮官たちが迫られた決断が少し違って見えてきます。

『太平洋艦隊』で戦役全体を。
『聯合艦隊』で激しい海戦を。

今日はウォーゲームで、ガダルカナルの戦いを体験してみませんか?

歴史を知れば、ウォーゲームはもっとおもしろい!

2026年7月10日 (金)

【7月10日】スモレンスクの戦いが始まった日

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1941年6月22日にバルバロッサ作戦を開始したドイツ軍は、わずか2週間余りでソ連領内へ500km以上も進撃しました。その勢いのまま中央軍集団はモスクワへの玄関口であるスモレンスクを目指します。

グデーリアン率いる第2装甲集団が南から、ホト率いる第3装甲集団が北から進撃し、両翼からスモレンスクを包囲。ソ連軍4個軍を捕捉し、30万人以上を捕虜にするという大戦果を挙げました。

しかし、この戦いは単なるドイツ軍の圧勝ではありませんでした。

ソ連軍は包囲されながらも各地で執拗な反撃を繰り返し、ドイツ軍の進撃を遅滞させます。その結果、ドイツ軍の装甲部隊も少なからぬ損害を受け、モスクワ攻略に向けた貴重な時間を失いました。近年では、このスモレンスクでの抵抗こそが、その後のモスクワ防衛成功につながる重要な要因だったという評価が定着しつつあります。

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この戦いを題材にしたウォーゲームといえば、アバロンヒル社の『パンツァーグルッペ・グデーリアン』です。

プレイヤーは電撃戦のスピードを維持して包囲を完成させるドイツ軍と、次々に増援を投入して突破口を開こうとするソ連軍を指揮します。ドイツ軍は「時間との戦い」、ソ連軍は「時間を稼ぐ戦い」という史実そのままの構図がゲームでも見事に再現されており、東部戦線作戦級ゲームの名作として今なお高い評価を受けています。

今回掲載した作戦図を見ると、北からホト、第3装甲集団、南からグデーリアン、第2装甲集団がスモレンスクを挟撃している様子がよく分かります。ウォーゲーマーなら、この図を眺めるだけでも「ここで包囲を閉じるか」「どこでソ連軍が反撃してくるか」と、ゲーム盤の情景が頭に浮かぶのではないでしょうか。

2026年7月 4日 (土)

【7月4日】クルスクの戦い「ツィタデレ(城塞)作戦」が始まった日

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クルスクの戦いは、ドイツ軍約2,800両、ソ連軍約3,000両以上の戦車・自走砲が激突した史上最大級の機甲戦として知られています。ドイツ軍は、突出したクルスク正面を南北から挟撃して戦線を短縮し、西部戦線への連合軍上陸に備えて予備兵力を確保しようと考えました。

しかし、5月開始予定だった作戦は延期を重ね、その間にソ連軍は作戦を察知。縦深防御陣地や広大な地雷原を築き、迎撃態勢を万全に整えます。その結果、ドイツ軍の攻勢は消耗戦となって失速。東部戦線の主導権は完全にソ連軍へ移り、翌1944年のバグラチオン作戦へとつながる大きな転換点となりました。

この戦いを題材にしたウォーゲームで、私がぜひおすすめしたいのが、ジョン・デッシュデザインの『ブラッドバス・アット・クルスク』です。

本作が扱うのは、クルスク戦のクライマックスであるプロホロフカ戦車戦。ドイツ軍第IISS装甲軍団とソ連軍第5親衛戦車軍が激突した歴史的な戦いを再現しています。

ゲームスケールは1ヘクス500m、1ターン1時間。ユニット規模はドイツ軍が中隊、ソ連軍が大隊となっており、機甲部隊の運用や予備兵力の投入、突破と防御の駆け引きをテンポよく楽しめます。単なる「戦車の撃ち合い」ではなく、作戦指揮官の視点でプロホロフカの激戦を体験できる傑作です。

本作は1996年チャールズ・S・ロバーツ賞の「第二次世界大戦最優秀ボードウォーゲーム賞」と「最優秀ウォーゲーム・グラフィックス賞」にノミネートされた実績もあります。

私はクルスク戦を扱ったウォーゲームの中では、今でも最高傑作の一つだと思っています。当時は日本語版がなかったため、英語版を辞書片手に遊び込んだのも懐かしい思い出です。

クルスク戦をさらに詳しく知りたい方には、山崎雅弘著『クルスク大戦車戦-独ソ機甲部隊の史上最大の激突』もおすすめです。ゲームをプレイしながら読むと、両軍の作戦意図や戦場の流れがより深く理解できる一冊です。

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