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2014年2月28日 (金)

カードスタンド、再入荷です!

お待たせしていました、大人気の『カードスタンド』が再入荷しました!
ゲームマーケット2014大阪を皮切りに、ゲームマーケット2014春、JGC2014、ゲームマーケット2014秋で発売します!

木製で質感が最高に良いカードスタンドです。幅はB5サイズに合わせて、縦180mm、横30mm、高さ8mm、ミゾの幅2mmの仕様。定価525円ですが、各イベントでは500円で販売します。カードスタンドを使うと両手がフリーになるので遊びやすくなりますし、ずっと持っていることがないのでカードの傷みも軽減できます。

近日中に、サンセットゲームズのホームページから通信販売でも買えるようにする予定です。
こちらは少しお待ち下さいませ。

※写真のカード等は付属していません。

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2014年2月27日 (木)

ラストチャンス・フォー・ビクトリーはでかい

そして、かなり重いです。
デカさと重さもゲティスバーグの決定版なのかも。

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2014年2月26日 (水)

OSG社から『La Patrie en Danger』が発売されました

ケヴィン・ザッカー率いるOSG社からLibrary of Napoleonic Battlesシリーズの新作、『La Patrie en Danger』が発売されました。1814年のフランス戦役シリーズのパートⅠと銘打ち、フランス戦役のうちの「Brienne」、「La Rothiere」、「Champaubert」、「Montmirail」、「Vauchamps」の戦いを取り上げています。これらのシナリオを続けて遊んで、キャンペーンゲームにすることもできます。フルマップ2.5枚、駒560個、カード100枚。

ナポレオンがロシア遠征に失敗し、諸国民戦争にも敗れてドイツから撤退した後、ロシア、オーストリア、プロイセン、スウェーデン、イギリス軍がフランスに攻め込んでくるストーリーです。ナポレオンはわずかな兵力で見事な防衛戦を演じます。

もちろん、サンセットゲームズで取り扱いします(すでにオーダー済み)。
公式日本語ルールも制作します。

タイトルのLa Patrie en Dangerは「祖国の危機」という意味ですが、「ナポレオン最大の危機」にしようかと考え中です。

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2014年2月25日 (火)

『ザ・シュプリーム・コマンダー』を買いました

ダニー・ホルトの第二次欧州大戦キャンペーンゲームはなにかと楽しみで、今からワクワクしています。

キャンペーンゲームを、こっそり計画中。

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2014年2月24日 (月)

一創@阪急正雀

一創@阪急正雀でランチです。
こんな小さな店ですが、たまに行列ができます。

麻婆豆腐をオプションで辛くしてもらったら、喉が乾きます。
新陳代謝がよくなりそうなのでした。

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2014年2月23日 (日)

サイコロのカタログが届きました

今年はCDでが届きました。
こちらは全て、JGC2014のみの限定販売します。

新商品は、55mmのクリアd20ダイスとかダイスバックの緑色(新色追加)とかスマイルダイスのなんかとか(モニターの中に映っているダイスです)。

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2014年2月22日 (土)

『C3iマガジン』Nr.27、届きました

『地獄の黙示録』みたいな表紙で、カッコいいです。

日本のウォーゲーマーにもなじみの深いジャック・グリーンと『エンパイア・オブ・ザ・サン』の研究記事に関心アリマス。

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2014年2月21日 (金)

コマンドマガジン115号、届きました

(株)国際通信社から見本誌が届きました。
いつもありがとうございます。
付録は「マーケット・ガーデン作戦」。
やっぱりゲーム盤は長細いのでした。

http://commandmagazine.jp/com/115/index.html

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2014年2月20日 (木)

『聯合艦隊』は3月発売が決定しました

皆様お待たせしました。
すでに印刷会社の作業に入っていまして、うまくいけば3月9日(日)に開催されるゲームマーケット2014大阪で発売できるみたいです。間に合わなくても、その次の週には皆様にお届けできます。

『聯合艦隊』は、第二次世界大戦における海上砲撃戦を扱った戦術級ウォーゲームと自負しています。
圧倒的なのは、その各国艦艇の数とシナリオの多さで、プレイヤーの皆さんの興味は尽きないでしょう。
また全ての艦艇はデータブックでまとめられており、資料としても大い活用できます。
駒シートやシナリオカードのサンプルを下に公開していますので、ぜひご覧下さい!

プレオーダーは3月上旬まで受け付けていますので、よろしくご検討いただければ幸いです。
http://www.sunsetgames.co.jp/project100.htm

ようやく進水です!

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2014年2月19日 (水)

『ラストチャンス・フォー・ビクトリー』のプレオーダーを開始しました

MMP社のライン・オブ・バトル・シリーズ(LOB)第二弾は、米国南北戦争の有名なゲティスバーグの戦いがテーマです。
フルマップ6枚、ユニット2240個のモンスターゲームです。
プレオーダー価格 21,000円/定価 25,200円。
シナリオは22本あり、簡単なシナリオは1時間程度で終わります。日本語ルールの別売は3,150円の予定です。
プレオーダーをご検討している方は、プロジェクト100のページで情報をご覧下さい。

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2014年2月18日 (火)

『リンカーンズウォー』の発送準備が整いました

本日、プレオーダーして頂いているお客様に向けて、発送確認のメールをお送り致しました。ご注文の追加・変更・キャンセル及び着日・着時間・局止め・送り先の変更等ございましたら、2月20日正午までにご返信下さいますようよろしくお願い申し上げます。
お申し込み済みにもかかわらず、当社からメールが届いていない方は、お手数ですがメールにてお問い合わせ頂ければ幸いです。
発送は2月21日を予定しております。
なお、プレオーダーの申し込みは2月20日正午までとさせて頂きます。
プレオーダーをご検討している方は、プロジェクト100のページで情報をご覧下さい。

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2014年2月17日 (月)

『戦国大名』でアクシデントありました

『戦国大名』はもっぱら制作中です。
箱の校正の色が違っていたりしていますが、大丈夫です。
一部データが壊れてしまっていて、こちらは大丈夫ではありません。
テキストはありますが、DTP作業が必要です。

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2014年2月16日 (日)

グローブを衝動買いしました

新しいグローブを衝動買いしました。
網模様にひとめぼれ(≧∇≦)

ちなみに一番下の写真は今まで20年使っていたグローブです。
最近、革の劣化が著しいのでした。

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2014年2月15日 (土)

小野原のカフェ探検

箕面市小野原のカフェ探検でワンドリップを見つけました!
パンケーキがふんわり、スゴイのでありんす。

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2014年2月14日 (金)

大阪も大雪です

本日は雪が降る中、屋外の仕事でした。

香里園駅から雪道を歩くのも、いとをかし。

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2014年2月13日 (木)

『第12SS装甲師団の反撃』のカナダ軍の話

ルールブックの巻末にある記事をまとめてみました。
公式日本語ルールブックにも掲載予定です。


ユニットの歴史-第3カナダ歩兵師団
1939年9月10日。カナダが対独宣戦布告を行ったこの日に、将来、カナダ第3歩兵師団となる連隊がその活動と自動車化の準備を始めました。彼らは1940年9月12日にイギリスに到着したものの、その後の約4年の歳月を、彼らが運命的な上陸をすることになるノルマンディー海岸を目の前にして過ごすことになりました。1944年の秋までには、カナダ軍からの2個歩兵師団、1個機甲師団、1個機甲旅団、1個空挺大隊と数々の小部隊が、北西ヨーロッパで第1カナダ軍の旗の下に戦っていました。
第3歩兵師団はカナダ全土から集められた兵士達が集められたいくつかの連隊によって構成されていました。彼らはドイツ軍からの激しい反撃という苦難に立ち向かって自分達の能力を示し、決してひるむことなく、非常に多くの死傷者と損害を出しながらも、常に与えられた目標を達成したのでした。
1944年6月までにこの第3歩兵師団はよく訓練されており、実戦に対する準備が充分にできていると報告されていました。ですが、D-Day上陸後の最初の数週間で、全てが打ち消されることになりました。そのため、戦闘においてひるんでしまい、勢いをそいでしまうような士官はすぐに交代させられました。
この第3歩兵師団と、後には第2歩兵師団もが、1944年の夏から秋にかけて全ての作戦行動の矢面に立つことになりました。7月の最初の週までに、これら2つの師団は第21軍集団指揮下の15個師団の中で最大の損害を被っていました。第3歩兵師団は第12SS装甲師団を壊滅させることに貢献し、フランス海岸、ベルギー、オランダを経て、1945年5月に北ドイツのアウリッヒ(Aurich)で終戦を迎える時まで全ての大きな戦いに参加したのでした。
カナダ軍は11ヶ月間続いた北西戦域の作戦だけで15,600名の戦死者を出しました。そのうち、約3,500名が第3歩兵師団の戦死者でした。彼らの行動は、軍事史の中に生き続けています。カナダは彼らの献身と犠牲のゆえに、西ヨーロッパの解放のために戦った偉大な3つの西側諸国のうちの1つであると記憶されることになるでしょう。


「連隊」とはカナダ軍にとってどういうものだったのか
“The Regiment”:What Does it Mean for the Canadian Army?
By Rick McKown

カナダ軍では、「連隊」という用語が様々な意味を持っています。正規でも予備でも、カナダ軍は歩兵、騎兵、とりわけ砲兵を、多数の特徴的な連隊へと編成しており、そのうちのいくつかは1867年のカナダ建国以前から存在していました。この「連隊システム」はイギリス軍に起源を持ち、それは大隊のいくつかを同じ連隊の同一性を持つ「連隊」歩兵部隊として構成したものであり、いくつかは海外派兵にも使用可能とし、それ以外のものはイギリス国内に留まり新兵を採用したり訓練したりしていました。ほとんどのカナダ軍連隊は、象徴的な名誉連隊長(多くの場合、イギリス王家の一人)と特徴的な服装(独自の連隊記章、帽子、高地連隊のキルト等)を持つ伝統、連隊マーチ、どの大隊が獲得したかにかかわりなく連隊全体によって共有されている『Battle Honours』を持っています。この連隊システムに賛同する人達は、これが部隊への忠誠心と強いプライドをもたらすことを評価していますが、反対に、連隊への排他的な忠誠心が増大してしまい、軍全体に必要なものと衝突してしまう可能性を批判する人達もいます。
平和時には、カナダ軍連隊の大部分は全国の市や町に置かれた予備役機構に地元で徴兵を行いました(今も同様です)。第一次世界大戦中のカナダ軍は部分的にこの連隊システムをやめ、すでに国内に存在していた諸連隊からカナダ大陸派遣軍(Canadian Expeditionary Force:CEF)のために個別の数字を割り振った大隊を創設し、カナダ国内の連隊システムは募兵の役割へと変換されました。戦間期には、カナダ大陸派遣軍として創設されていた諸大隊はその募兵母体となった連隊に再び戻り、多くの場合、複数の大隊から成る連隊が作られましたが、その内実は1つか2つのみ大隊だけが現役で、残りは書類上に存在しているだけでした。たとえば、『第12装甲師団の反撃』にも登場するカナダ・スコットランド連隊は1920年代に6個大隊の連隊として再編成されましたが、現役であったのは第1大隊と第2大隊のみでした。第二次世界大戦時にこの連隊システムはそのまま維持されましたが、兵士や将校達は必要に応じて連隊間で転任させられることがしばしばありました。
歩兵をはじめとする様々な兵科に関して連隊を見てみましょう。第二次世界大戦中、米、独、ソ、日、中、仏などを含めたほとんどの軍の歩兵連隊は、現代における2個以上の歩兵大隊としばしば他の補助兵科からなる旅団サイズの戦闘部隊にあたるものでした。『第12SS装甲師団の反撃』では、第26SS装甲擲弾兵連隊が組織モデルの良い例になっています。しかし、カナダ軍(及び他のイギリス連邦軍)の連隊は歩兵の戦闘部隊にあたるものではありませんでした(そして、このような部隊は存在していませんでした)。カナダ軍の歩兵連隊は、1つあるいは複数の大隊を創設するための管理上の構成組織だったのです(そして、現在でもそうです)。第二次世界大戦中、歩兵連隊は通常、3個大隊で編制されましたが、そのうちの第1大隊のみが海外派兵に使われました。たとえば、レジーナ・ライフル連隊は第二次世界大戦中は第1、第3、第4大隊で編制されていましたが、そのうちの第1大隊だけがヨーロッパに送られ、『第12SS装甲師団の反撃』では“Regina Rifles”の名称で登場しています。第3大隊はカナダ国内で国防任務に就き、第4大隊はドイツ占領カナダ軍に加わりました。その他のカナダ軍歩兵連隊は、『第12SS装甲師団の反撃』において、"1st Battalion, The Royal Winnipeg Rifles"、"1st Battalion, The Canadian Scottish Regiment"、"1st Battalion, The Queen's Own Rifles of Canada"の名称で登場します。『第12SS装甲師団の反撃』におけるもう1つの歩兵連隊は、第3師団の機関銃大隊である"1st Battalion, The Cameron Highlanders of Ottawa(Machine Gun)"です。
第二次世界大戦中のほとんどの機甲部隊は、歩兵連隊と同じように2個以上の大隊からなる戦闘連隊を構成している(『第12SS装甲師団の反撃』の第12SS装甲連隊等)か、あるいは独立大隊からなっていました(『第12SS装甲師団の反撃』の第101SS装甲大隊がティーガー戦車等)。しかし、イギリス軍とカナダ軍では、伝統的に騎兵連隊(後期の機甲連隊)は組織上は1個大隊に等しい1個戦闘連隊のみで構成されていました。騎兵部隊を機甲部隊へと転換するにあたってカナダ軍は、カナダ機甲軍団(この“軍団”とは、訓練や戦闘ドクトリン等のための管理上の組織を意味しており、戦闘区分ではありませんでした)を創設し、騎兵連隊は機甲連隊としてその中に組み込まれました。『第12SS装甲師団の反撃』の中に出てくる2つのカナダ軍機甲連隊は、当時正式に指定されていた"6th Armoured Regiment(1st Hussars), Canadian Armoured Corps"と、"10th Armoured Regiment(The Fort Garry Horse), Canadian Armoured Corps"です。
第二次世界大戦中の砲兵部隊もまた、非常に様々な形態があり、2個以上の大隊による戦闘連隊(『第12SS装甲師団の反撃』の第12SS砲兵連隊等)と同様に、単独の大隊のものもありました(『第12SS装甲師団の反撃』では第12SS高射砲大隊等)。カナダ軍の全ての砲兵部隊はそれぞれ管理上の連隊組織である"the Royal Regiment of Canadian Artillery"に属していましたが、各砲兵部隊は組織上は大隊と同様に様々なタイプの番号付きの戦闘部隊として割り当てられました。
連隊の名称タイプは、その砲兵部隊が装備している砲の種類によって決められました。"Field Regiment"(米軍の"field artillery"に相当し、通常師団砲兵を形作る軽めの砲で、『第12SS装甲師団の反撃』の25ポンド榴弾砲や米軍の105mm榴弾砲を装備していました)、"Medium Regiment"(軍団砲兵レベルのより重い砲で、たとえば『第12SS装甲師団の反撃』の4.5インチ中砲を装備していました)、"対戦車砲連隊"、"軽高射砲連隊"、"重高射砲連隊"等がありました。
『第12SS装甲師団の反撃』に登場するカナダ軍連隊の歴史や伝統に関する情報については、カナダ国防省の歴史遺産理事会が何巻にも及ぶオンラインのリファレンスマニュアルである"Official Lineages"をhttp://www.cmp-cpm.forces.gc.ca/dhh-dhp/his/ol-lo/index-eng.aspに置いています。

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2014年2月12日 (水)

『第12SS装甲師団の反撃』のヒストリカルノート

ジュノー。それが、このカナダ兵達がD-Dayに上陸するために割り当てられたノルマンディー地方の海岸につけられたコードネームでした。ジュノー海岸は長い砂浜ではあるものの、沖合には岩礁が広がっていました。一方、内陸には他のノルマンディー地方と同じように、平和時ならば多くの観光客を惹きつけるであろう、のどかな村々が点在していました。ところが、ここを大規模な侵攻部隊が目指し、その静穏を破ることになったのです。
この海岸では、サントーバン・シュル・メール(St-Aubin-sur-Mer)、ベルニエール・シュル・メール(Berni?res-sur-Mer)、クールスール(Courseulles)、グラーユ・シュル・メール(Graye-sur-Mer)の村が約4マイルにわたってドイツ軍の拠点となっていることが確認されており、最初の攻撃でこれらを全て無力化しなければなりませんでした。このあたりには唯一の大きな河川として、クールスールとグラーユ・シュル・メールの間の水路に注ぎ込んでいるスール(Seulles)川もありました。この地域は、豊富な銃器、トーチカ及びマシンガンの巣によってドイツ軍に厳重に防衛されており、これらの防御施設は上陸前の膨大な砲撃でも大きなダメージを受けずに、カナダ兵達に死の銃火を浴びせる準備を整えていたのです。
オーバーロード作戦の最初の段階であるネプチューン作戦のために、第3カナダ歩兵師団と第2カナダ機甲旅団の将兵達は何度も繰り返し訓練してきました。ネプチューン作戦は6月6日の深夜までに、このカナダ兵達を10マイルほど内陸へ送り込む4つのフェイズで構成された野心的な計画でした。
カナダ軍担当区域の攻撃計画によって、コードネーム「マイク」、「ナン」と呼称される海岸に2つの旅団の上陸が命令されていました。第7旅団には第8旅団の右側のマイクとナン・グリーンが割り当てられました【訳注:マイク海岸はさらに二分割されてグリーンとレッド、ナン海岸は三分割されてグリーン、ホワイト、レッドと呼称されており、第7旅団はそのうちのマイク海岸全体とナン海岸のグリーンを受け持ちました】。第7旅団には、師団全体の目標の中で最も重要な海岸が割り当てられていました。作戦開始から正午までに第7旅団は第1フェイズの目標を全て奪取しましたが、その損失は非常に大きいものでした。この日の終わりには、ロイヤル・ウィニペグ・ライフル連隊所属のC中隊は145名の定数に対して、たった1人の将校と26名の兵員しか残っていませんでした。レジーナ・ライフル連隊のD中隊は海岸へ到着するまでに機雷障害物で深刻な損害を被りました。生き残って海岸にたどり着き、戦闘行動を開始することができたのはわずか49名でした。この日の終わりには、第1軽騎兵連隊の2つのDD軽騎兵中隊も戦力を確保するために統合しました。
いくらかの増援は送られたものの、上陸地点が依然、敵の砲火に晒されていたため、ほんの少しが到着したにすぎませんでした。攻勢スピードを維持するために、攻撃部隊が兵力不足のまま、第2フェイズの「エルム(Elm)」が開始されました。「エルム」は、クルリー(Creully)とフォンテーヌ・アンリ(Fontaine-Henry)周辺に付けられたコードネームでした。カナダ・スコットランド連隊はクルリーに前進し、すでにゴールド海岸に上陸していたイギリス第50歩兵師団と手を繋ぎました。彼らはそこからロイヤル・ウィニペグ・ライフル連隊の支援を受けて、さらにカミリー(Camilly)を奪取しました。レジーナ・ライフル連隊は6月6日の20時までにフォンテーヌ・アンリの村を占領しました。それらの目標地点の中間にあったコロンビエ・シュル・スール(Colombiers-sur-Seulles)周辺の丘とルヴィエール(Reviers)橋は、真夜中までに占領されました。
隣接の第8旅団も数度、敵と遭遇して成功を収めた後、彼らには後方に残っていくつかのドイツ軍ポケットの激しい抵抗を一掃するという任務が与えられました。中でも特に重要であったのがドゥーヴル・ラ・デリヴランド(Douvres-la-D?livrande)で、そこはレーダーと通信局が238名のドイツ兵と第21装甲師団から送られた数両の装甲車両によって守られており、彼らは決して降伏しない覚悟だったのです。ノース・ショア(ニュー・ブリュンスウィック)連隊はそのレーダー基地を占拠するために6月6日の真夜中までにドゥーヴル・ラ・デリヴランドに到着し、クィーンズ・オウン・ライフル連隊はアニジー(Anisy)まで進出しました。第8旅団はその「エルム」の目標地点で統合され、第3フェイズの目的地であるカルピケ(Carpiquet)飛行場を、第9旅団が奪取するために通過していく道の下準備をすることになっていました。そこで第8旅団の役割は防御に変わり、カナダ軍区域の進入路を守って第3歩兵師団の予備になる予定でした。
6月7日の朝には、先へ進む両旅団(第7旅団と第9旅団)は予期されたドイツ軍の反撃も全くなく、前進できる状況が整っていると判断されました。第9旅団区域ではノース・ノヴァスコティア・ハイランダーズ連隊とシャーブルック・フュージリア連隊(第27機甲連隊)がビュロン(Buron)、オーティ(Authie)、フランクヴィル(Franqueville)を経由してカルピケ飛行場に向かって南へ移動し始めました。第7旅団には、ブレットヴィル・ロルギュイユーズ(Bretteville l'Orgueilleuse)とピュトー・アン・ベッサン(Putot-en-Bessin)へゆっくりと進み始める命令が出されました。これらが、カナダ第3歩兵師団のD-Day当日の第3フェイズの「オーク(Oak)」のコードネームで呼ばれる目標群でした。目に見える戦線は形成されておらず、状況は非常に流動的でした。そして、第12SS装甲師団が前日1000時に命令を受け取り、すでにこの区域に到着していることを彼らは全く知らなかったのです。第25SS装甲擲弾兵連隊の熟練した指揮官であるクルト・マイヤーと彼の戦闘集団は、連合軍を海へ追い落とすための来たるべき反撃の準備の最終段階にいました。カーン北西のアルデンヌ僧院(Abbaye d'Ardenne)に置かれていた前進観測哨戒所でマイヤーは素早く状況を把握すると、すぐに彼の全3個大隊を前方に配置しました。第Ⅰ大隊は右側面をカバーするためにエプロン(Epron)村とサン・コンテ(St-Contest)村の間に置き、イギリス第3歩兵師団に向かい合っている第21装甲師団の部隊に隣接させました。第Ⅱ大隊はサン・コンテとビュロンの間に置きました。第Ⅲ大隊は左側面のビュロン、オーティ及びカーン・バイユー街道の広い領域をカバーさせました。装甲擲弾兵達の背後では、大隊のⅣ号戦車が支援砲兵と共に位置につきました。
第9旅団の指揮官であるカニンガム准将は前進偵察部隊を送らずに、ノース・ノヴァスコティア連隊によって先導された戦闘集団を前進させ、旅団の残りと支援砲兵を近接して従わせていました。カナダ兵達は、自分達の移動がクルト・マイヤーによって近くから観察されていることに気づいていませんでした。多くの戦役に参加してきたベテランの親衛隊大佐であるマイヤーは、カナダ兵がオーティとビュロンの間に移動して広がりきってしまうまで待ってから、攻撃命令を下しました。激しい戦闘は20分も続かず、大打撃を受けたカナダ第9旅団はこの日の残りを戦いながら退却し、3~3.5マイルほど退却しました。そこで彼らは防御態勢を整えて陣地を構築しました。増援として来るはずの第26SS装甲擲弾兵連隊がどこにいるのかはよくわからないながらも、自身の左側面に依然として6マイルの隙間が存在していることを十分に認識していたマイヤーはカナダ兵を追うことはしませんでしたが、新たな地歩を獲得するために新しい位置に付くことにしました。第26連隊は依然、行軍中でしたが、それはまず第一に連合軍の航空阻止によって遅滞させられていたこと、第二にこれまでの演習でこの連隊に割り当てられていた行軍ルートが様々な連合軍部隊の位置について不確かであるために6月6日に変更されていたことからでした。
第26SS装甲擲弾兵連隊の到着が遅れたために、第7旅団は第9旅団と同じ運命に陥るのを免れました。6月7日の正午までに、第7旅団のロイヤル・ウィニペグ・ライフル連隊とレジーナ・ライフル連隊が、D-Dayの最後の目標を占領した最初の連合軍部隊となりました。この時、第26SS装甲擲弾兵連隊の先頭の部隊は、ノレイ・アン・ベッサン(Norrey-en-Bessin)にいた最も進出しているカナダ軍部隊から2マイル南にあるシュー(Cheux)周辺に到着し始めたところで、連隊の大部分がようやく到着してから夜間に小さな強行偵察が行われました。ドイツ軍は本来ならばカナダ軍に対して形勢を逆転させることができたはずだったのですが、第12SS装甲師団の各部隊間の連携の悪さのために実現されませんでした。この連携の問題の一部は、第7旅団の優れた通信妨害によって引き起こされたものでした。
連合軍を海へ追い落とすためにパンツァーレーアと第21装甲師団及び第12SS装甲師団がカーンに向かって移動し、6月6日早くにロンメルによって構想された作戦が実施される予定になっていました。第12SS装甲師団長のヴィット将軍にとってまず必要なことは、この大攻撃に必要な戦力を集結させるためにカーン・バイユー街道を確保することでした。最初の共同攻撃は6月7日1600時に予定されていましたが、前述したように、第12SS装甲師団はまだその地域まで移動できていませんでした。パンツァーレーアも依然として行軍中であり、これらが勢揃いするのは8日になるだろうと見られました。ヴィット将軍はドイツ軍の1個中隊がドゥーヴル・ラ・デリヴランドで依然抵抗を続けているという知らせを受け、自らの位置を前進させることを含めて計画を修正しました。
6月7日のカナダ第9旅団との最初の戦いは、若いSSの兵士達に上陸軍に対して勝利できるという大きな自信を抱かました。しかし、第9旅団とは異なり、第7旅団は計画された位置についており、どんな攻撃でも跳ね返す準備ができていました。第26SS装甲擲弾兵連隊は、移動中のカナダ軍を捕らえるのではなく、非常に強力に防衛された拠点に向かって前進しなければならなかったのです。
お膳立ては整っていました。第7旅団指揮官のフォスター准将は、向かってくるどんな敵にも射線が通るように自分の大隊を配置していました。ピュトー・アン・ベッサンに配置されていたロイヤル・ウィニペグ・ライフル連隊はル・メニル・パトリー(Le Mesnil-Patry)に向かって南に面し、ブルエ(Brouay)近くを通過する単線の鉄道線を守備していました。レジーナ・ライフル連隊の大部分はブレットヴィル・ロルギュイユーズにあり、線路を跨いだノレイ・アン・ベッサンにはC中隊、ブレットヴィル・ロルギュイユーズとノレイ・アン・ベッサンとの中間の線路に隣接したカルドンヴィル(Cardonville)農場にD中隊とブレン・キャリアー大隊が配置されました。カナダ・スコットランド連隊は予備としてセックヴィル・アン・ベッサン(Secqueville-en-Bessin)に配置されていました。フォスター准将は第9旅団に襲いかかった悲運について報告を受けると、フィエヴィル・ブレイ(Fierville-Bray)からケロン(Cairon)へとアーチ状に北から東へと広がる左側面をカバーするために、カナダ・スコットランド連隊のC中隊を対戦車自走砲部隊である第1軽騎兵連隊のC中隊及びキャメロン・ハイランダーズ・オブ・オタワ連隊(CHLO)の機関銃班1個と一緒に送り出しました。第7旅団司令部は、地理的にはこの森の中央にあるル・オー・ド・ブレットヴィル(Le Haut de Bretteville(hex 29.29))に置かれました。
6月8日の夜明け前、第26SS装甲擲弾兵連隊による攻撃が、その第Ⅰ大隊の3つの中隊によって始められました。彼らは、二方向からの攻撃によってノレイ・アン・ベッサンにいるレジーナ・ライフル連隊を包囲しようとしました。第1及び第3中隊はノレイ・アン・ベッサンに南東から接近し、第2中隊は西から向かって行きました。砲兵支援は使えませんでしたが、装甲部隊が安全に通過できるように村を越えたところにある鉄道線を確保しなければならなかったのです。カナダ兵達は第1及び第3中隊がサン・マンヴュー(St-Manvieu)とミュー(Mue)川の方向からやってくるのを発見し、即座に小火器と砲兵の射撃を叩き込みました。右翼の攻勢はノレイ・アン・ベッサンから約1000mのところで停止せざるを得ず、そこで彼らは午前中の残りの時間とどまりました。第2中隊は数両の装甲車両を伴っており、ル・メニル・パトリーの地域からよりも前進できました。ドイツ軍の擲弾兵達は苦戦の末、ノレイ・アン・ベッサンを突破し、鉄道の土手にたどりつきました。しかし、攻勢右翼の状況を見て、第2中隊はブレットヴィル・ロルギュイユーズとノレイ・アン・ベッサンの間の鉄道線のすぐ北のカルドンヴィルに退却することを決めました。
この攻撃は、第26SS装甲擲弾兵連隊の全域にわたって行われることになっていたのですが、第Ⅱ大隊はより慎重に移動中で、彼らの攻撃は3時間後の0600時まで始まりませんでした。ピュトー・アン・ベッサンが彼らの目標であり、その前進は砲兵の支援がないまま始められました。カナダ軍に猛砲撃を行うために絶対に必要な通信リンクをドイツ軍が確立する前に、鉄道を跨ぐ橋(hex 6.17)を巡って小戦闘が発生しました。しかし、この戦闘は勇敢な"Little Black Devils"(ロイヤル・ウィニペグ・ライフル連隊)によって失敗し、第Ⅱ大隊は再編成するために退却しました。2時間後、彼らの再攻撃は十分な砲兵支援の下に始まり、この砲撃は第Ⅱ大隊がピュトー・アン・ベッサン村にいたロイヤル・ウィニペグ・ライフル連隊のA、B、C中隊を蹂躙するのに大いに貢献することになりました。この戦闘でロイヤル・ウィニペグ・ライフル連隊は256名の死傷者(うち105名が戦死)という大損害を被ったため、大隊の残りは後退し、旅団予備とされました。
午後の中頃までにドイツ軍は獲得した地歩を確固たるものにし、すぐに防御陣地の建設に着手しました。予期されたカナダ軍の反撃は、4つの野戦砲兵連隊からの砲撃と共に始まりました。この攻撃では、SSの兵士達は、対戦車砲や近接突撃兵器等の重火器を新たな場所に移動させることができませんでした。カナダ・スコットランド連隊はラ・ベルジュリ(La Bergerie)農場近くの森で集結した後、ピュトー・アン・ベッサンを再奪取する準備を行いました。第1軽騎兵連隊のC中隊とキャメロン・ハイランダーズ・オブ・オタワ連隊からの機関銃班数個が彼らの攻撃に同行することになっており、その攻撃は1930時に開始されました。C中隊とD中隊が移動弾幕射撃の背後を前進し、そのすぐ後ろにA中隊とB中隊が続きました。C中隊の戦車が側面をカバーし、機関銃班が支援します。2130時までにピュトー・アン・ベッサンは再びカナダ軍のものになりましたが、その代償は大きいものでした。カナダ軍は125名の死傷者を出し、それはわずかなものを得るために膨大な損耗を出した第一次世界大戦の戦いのようでした。この日は第Ⅱ大隊もカナダ軍との戦闘で大きな損害を出しました。ピュトー・アン・ベッサンがカナダ軍に再奪取された時点で、第Ⅱ大隊は再編成と新たな命令を受けるために鉄道線の南数百ヤードのところへ後退しました。
カナダ・スコットランド連隊が6月8日の夜中にピュトー・アン・ベッサンを再奪取している間に、第7旅団の戦線の向こう側のブレットヴィル・ロルギュイユーズでは、“Johns”(レジーナ・ライフル連隊)がドイツ軍の反撃を待って緊張状態にありました。というのも、その近辺をいくつかのドイツ軍装甲車両が移動していたからです。しかし実際には、この時点ではドイツ軍の反撃計画はまだ存在していませんでした。クルト・マイヤーは第9旅団は防衛態勢をとっているという正しい情報を入手しており、第26連隊の攻勢を支援するために側面からブレットヴィル・ロルギュイユーズを攻撃できるチャンスが来るまで待っていたのです。彼は第15偵察中隊を街道から引き上げ、2つの装甲中隊と独立自走砲中隊を付け加えた第26連隊の第Ⅰ大隊でブレットヴィル・ロルギュイユーズへの攻撃を再開しようと考えていました。そして、2200時に攻撃が開始されました。しかし、村の中とその周辺から激しい対戦車砲撃に遭い、第26連隊からの増援の不足もあって、マイヤーの攻撃は最終的に6月9日の夜明けに中止となりました。カンプフグルッペのぼろぼろになった残りは、その攻勢発起点であったラ・ヴィルヌーヴ(La Villeneuve)まで退却しました。この戦闘ではノレイ・アン・ベッサンの戦術的重要性が明らかになりました。ブレットヴィル・ロルギュイユーズの攻撃の最後の試みが失敗したのは、ノレイ・アン・ベッサンにいたカナダ軍がブレットヴィル・ロルギュイユーズに向かう第26連隊の移動を妨害したからでした。
その後、2つの攻撃がノレイ・アン・ベッサンを第一目標として計画されました。まず、6月19日1300時に第3装甲中隊と第25連隊の小さな歩兵部隊が東からノレイ・アン・ベッサンに前進しました。この攻撃には第26連隊の第Ⅰ大隊も協力しており、12台のパンターが横並びになって直角にノレイ・アン・ベッサンに進みました。歩兵はパンターのスピードについていけず、大きく遅れを取り、またもや第26連隊のパンターは支援を受けられませんでした。しかもまさにこの時、8台のシャーマン戦車と数台のファイアフライが第1軽騎兵連隊に配属され、フォート・ギャリー・ホース連隊(第10カナダ機甲連隊)のメンバーが乗員となって、さらなる火力支援をJohnsに与えるためにノレイ・アン・ベッサンに向かって前進中だったのです。前進するパンターの晒された側面を見逃すことなく砲弾が撃ち込まれ、7両のドイツ軍戦車が破壊されました。残余はラ・ヴィルヌーヴへ退却しました。
ノレイ・アン・ベッサンを奪取しようとする最後のドイツ軍の試みは、6月10日に実行されました。これまでの戦いに参加していなかった戦闘工兵大隊が、ノレイ・アン・ベッサンでカナダ兵の抵抗を粉砕するために招集されました。夜明け少し前に、その3個中隊がノレイ・アン・ベッサンへ向けて前進しました。しかし、カナダ兵達は準備万端で彼らを待ち受けていました。猛烈な射撃でドイツ軍は一時後退せざるを得ませんでした。砲兵中隊数個の砲兵支援は助けにはならず、1600時までには戦闘工兵大隊は退却を始めました。これが、装甲軍団が共同攻撃するために、必要な足場を得るために連合軍の橋頭堡に対して行われた第12SS装甲師団の最後の試みとなりました。
ノレイ・アン・ベッサンとブレットヴィル・ロルギュイユーズを占領しようとする4回の攻撃はいずれも失敗しました。この2つの村が強力な障壁を形成し、装甲軍団の攻撃計画を妨害していました。砲兵の効果的な火力と強力な対戦車支援と共に、防御するカナダ軍兵士の勇気が大きな役割を演じました。ドイツ兵も勇気に欠けていたわけではなかったのですが、効果的な通信妨害と砲兵支援が第12SS装甲師団の様々な部隊の協調と戦闘力の集中を全て邪魔したのでした。

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2014年2月11日 (火)

徳屋のわらびもち

昨日は京都祇園の徳屋でわらび餅、食べました。
花見小路にあります。
真ん中はかき氷になっていて、抹茶とあんこで宇治金時に変身するのでした。

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2014年2月10日 (月)

サイコロのコーディネート

サンセットゲームズでは、イベントでサイコロを売っています。
1個売りもしていますが、ケース売りが楽しいのでした。

9色カラー
9

カラートーン
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ブラジル(やっぱりサッカーファンが名付け親)
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2014年2月 9日 (日)

ミドルアース定例会レポート

ミドルアース大阪本部のブログに、ミドルアース定例会レポートを公開しました。

http://sunsetgames.cocolog-nifty.com/middleearth/2014/02/post-944d.html

どなたでも、どしどしコメントお願いします。

2014年2月 8日 (土)

マージャン大会の開幕戦

今年の麻雀開幕戦。
いきなり3人からリーチって!

なんとか、おかげさまで2位発進。
2連覇を目指します~。

Photo

2014年2月 7日 (金)

ゲームマーケット2014大阪の公式カタログが届きました

あと1ヶ月です。
そろそろ仕込みに入ります。

ちなみに、表紙の絵は会場のあるOMMビルです。

Gm2014

2014年2月 6日 (木)

『ドイツ装甲師団長』を戦う

あと一歩だったんですけども…。
突破って、やっぱりムズカシイ。

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2014年2月 5日 (水)

ゲームマーケット2014春

気の早い話ですが、6月1日(日)に東京ビッグサイトで開催されるゲームマーケット2014春の飛行機とホテルを手配しました。

行きは飛行機、帰りは新幹線です。

2014年2月 4日 (火)

確定申告に行ってきました

今年は早めにすませました。

いつも自分でやっています。

2014年2月 3日 (月)

節分

今年の恵方巻は、焼肉巻とステーキ巻。

肉&肉で、幸せがダブルで来ますように。
パンパン。

2014年2月 2日 (日)

ダイスの注文がやってきました

骨ダイス(右)とカジノダイス(中央の3色)とエイリアンダイス(左)です。
骨ダイスは積み上げると背骨のように見えます。
カジノダイスは本場のカジノで実際の使っているものです。

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2014年2月 1日 (土)

2月の週末の予定(備忘録)

1日 株式会社ミドリ殖産の仕事
2日 ソフトボールの助っ人(10時30分、住之江公園駅)
4日 全日本不動産協会大阪東支部 役員会
8日 麻雀
9日 ミドルアース定例会
15日 予定なし
16日 アイアンクロスの試合(13時、みなと堺グリーン広場)
18日 全日本不動産協会大阪府本部 青年部幹事会、名刺交換交流会
22日 予定なし
23日 アイアンクロスの試合(13時、大泉緑地)

今年の2月は休みが少ないような気がします。

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