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2014年2月13日 (木)

『第12SS装甲師団の反撃』のカナダ軍の話

ルールブックの巻末にある記事をまとめてみました。
公式日本語ルールブックにも掲載予定です。


ユニットの歴史-第3カナダ歩兵師団
1939年9月10日。カナダが対独宣戦布告を行ったこの日に、将来、カナダ第3歩兵師団となる連隊がその活動と自動車化の準備を始めました。彼らは1940年9月12日にイギリスに到着したものの、その後の約4年の歳月を、彼らが運命的な上陸をすることになるノルマンディー海岸を目の前にして過ごすことになりました。1944年の秋までには、カナダ軍からの2個歩兵師団、1個機甲師団、1個機甲旅団、1個空挺大隊と数々の小部隊が、北西ヨーロッパで第1カナダ軍の旗の下に戦っていました。
第3歩兵師団はカナダ全土から集められた兵士達が集められたいくつかの連隊によって構成されていました。彼らはドイツ軍からの激しい反撃という苦難に立ち向かって自分達の能力を示し、決してひるむことなく、非常に多くの死傷者と損害を出しながらも、常に与えられた目標を達成したのでした。
1944年6月までにこの第3歩兵師団はよく訓練されており、実戦に対する準備が充分にできていると報告されていました。ですが、D-Day上陸後の最初の数週間で、全てが打ち消されることになりました。そのため、戦闘においてひるんでしまい、勢いをそいでしまうような士官はすぐに交代させられました。
この第3歩兵師団と、後には第2歩兵師団もが、1944年の夏から秋にかけて全ての作戦行動の矢面に立つことになりました。7月の最初の週までに、これら2つの師団は第21軍集団指揮下の15個師団の中で最大の損害を被っていました。第3歩兵師団は第12SS装甲師団を壊滅させることに貢献し、フランス海岸、ベルギー、オランダを経て、1945年5月に北ドイツのアウリッヒ(Aurich)で終戦を迎える時まで全ての大きな戦いに参加したのでした。
カナダ軍は11ヶ月間続いた北西戦域の作戦だけで15,600名の戦死者を出しました。そのうち、約3,500名が第3歩兵師団の戦死者でした。彼らの行動は、軍事史の中に生き続けています。カナダは彼らの献身と犠牲のゆえに、西ヨーロッパの解放のために戦った偉大な3つの西側諸国のうちの1つであると記憶されることになるでしょう。


「連隊」とはカナダ軍にとってどういうものだったのか
“The Regiment”:What Does it Mean for the Canadian Army?
By Rick McKown

カナダ軍では、「連隊」という用語が様々な意味を持っています。正規でも予備でも、カナダ軍は歩兵、騎兵、とりわけ砲兵を、多数の特徴的な連隊へと編成しており、そのうちのいくつかは1867年のカナダ建国以前から存在していました。この「連隊システム」はイギリス軍に起源を持ち、それは大隊のいくつかを同じ連隊の同一性を持つ「連隊」歩兵部隊として構成したものであり、いくつかは海外派兵にも使用可能とし、それ以外のものはイギリス国内に留まり新兵を採用したり訓練したりしていました。ほとんどのカナダ軍連隊は、象徴的な名誉連隊長(多くの場合、イギリス王家の一人)と特徴的な服装(独自の連隊記章、帽子、高地連隊のキルト等)を持つ伝統、連隊マーチ、どの大隊が獲得したかにかかわりなく連隊全体によって共有されている『Battle Honours』を持っています。この連隊システムに賛同する人達は、これが部隊への忠誠心と強いプライドをもたらすことを評価していますが、反対に、連隊への排他的な忠誠心が増大してしまい、軍全体に必要なものと衝突してしまう可能性を批判する人達もいます。
平和時には、カナダ軍連隊の大部分は全国の市や町に置かれた予備役機構に地元で徴兵を行いました(今も同様です)。第一次世界大戦中のカナダ軍は部分的にこの連隊システムをやめ、すでに国内に存在していた諸連隊からカナダ大陸派遣軍(Canadian Expeditionary Force:CEF)のために個別の数字を割り振った大隊を創設し、カナダ国内の連隊システムは募兵の役割へと変換されました。戦間期には、カナダ大陸派遣軍として創設されていた諸大隊はその募兵母体となった連隊に再び戻り、多くの場合、複数の大隊から成る連隊が作られましたが、その内実は1つか2つのみ大隊だけが現役で、残りは書類上に存在しているだけでした。たとえば、『第12装甲師団の反撃』にも登場するカナダ・スコットランド連隊は1920年代に6個大隊の連隊として再編成されましたが、現役であったのは第1大隊と第2大隊のみでした。第二次世界大戦時にこの連隊システムはそのまま維持されましたが、兵士や将校達は必要に応じて連隊間で転任させられることがしばしばありました。
歩兵をはじめとする様々な兵科に関して連隊を見てみましょう。第二次世界大戦中、米、独、ソ、日、中、仏などを含めたほとんどの軍の歩兵連隊は、現代における2個以上の歩兵大隊としばしば他の補助兵科からなる旅団サイズの戦闘部隊にあたるものでした。『第12SS装甲師団の反撃』では、第26SS装甲擲弾兵連隊が組織モデルの良い例になっています。しかし、カナダ軍(及び他のイギリス連邦軍)の連隊は歩兵の戦闘部隊にあたるものではありませんでした(そして、このような部隊は存在していませんでした)。カナダ軍の歩兵連隊は、1つあるいは複数の大隊を創設するための管理上の構成組織だったのです(そして、現在でもそうです)。第二次世界大戦中、歩兵連隊は通常、3個大隊で編制されましたが、そのうちの第1大隊のみが海外派兵に使われました。たとえば、レジーナ・ライフル連隊は第二次世界大戦中は第1、第3、第4大隊で編制されていましたが、そのうちの第1大隊だけがヨーロッパに送られ、『第12SS装甲師団の反撃』では“Regina Rifles”の名称で登場しています。第3大隊はカナダ国内で国防任務に就き、第4大隊はドイツ占領カナダ軍に加わりました。その他のカナダ軍歩兵連隊は、『第12SS装甲師団の反撃』において、"1st Battalion, The Royal Winnipeg Rifles"、"1st Battalion, The Canadian Scottish Regiment"、"1st Battalion, The Queen's Own Rifles of Canada"の名称で登場します。『第12SS装甲師団の反撃』におけるもう1つの歩兵連隊は、第3師団の機関銃大隊である"1st Battalion, The Cameron Highlanders of Ottawa(Machine Gun)"です。
第二次世界大戦中のほとんどの機甲部隊は、歩兵連隊と同じように2個以上の大隊からなる戦闘連隊を構成している(『第12SS装甲師団の反撃』の第12SS装甲連隊等)か、あるいは独立大隊からなっていました(『第12SS装甲師団の反撃』の第101SS装甲大隊がティーガー戦車等)。しかし、イギリス軍とカナダ軍では、伝統的に騎兵連隊(後期の機甲連隊)は組織上は1個大隊に等しい1個戦闘連隊のみで構成されていました。騎兵部隊を機甲部隊へと転換するにあたってカナダ軍は、カナダ機甲軍団(この“軍団”とは、訓練や戦闘ドクトリン等のための管理上の組織を意味しており、戦闘区分ではありませんでした)を創設し、騎兵連隊は機甲連隊としてその中に組み込まれました。『第12SS装甲師団の反撃』の中に出てくる2つのカナダ軍機甲連隊は、当時正式に指定されていた"6th Armoured Regiment(1st Hussars), Canadian Armoured Corps"と、"10th Armoured Regiment(The Fort Garry Horse), Canadian Armoured Corps"です。
第二次世界大戦中の砲兵部隊もまた、非常に様々な形態があり、2個以上の大隊による戦闘連隊(『第12SS装甲師団の反撃』の第12SS砲兵連隊等)と同様に、単独の大隊のものもありました(『第12SS装甲師団の反撃』では第12SS高射砲大隊等)。カナダ軍の全ての砲兵部隊はそれぞれ管理上の連隊組織である"the Royal Regiment of Canadian Artillery"に属していましたが、各砲兵部隊は組織上は大隊と同様に様々なタイプの番号付きの戦闘部隊として割り当てられました。
連隊の名称タイプは、その砲兵部隊が装備している砲の種類によって決められました。"Field Regiment"(米軍の"field artillery"に相当し、通常師団砲兵を形作る軽めの砲で、『第12SS装甲師団の反撃』の25ポンド榴弾砲や米軍の105mm榴弾砲を装備していました)、"Medium Regiment"(軍団砲兵レベルのより重い砲で、たとえば『第12SS装甲師団の反撃』の4.5インチ中砲を装備していました)、"対戦車砲連隊"、"軽高射砲連隊"、"重高射砲連隊"等がありました。
『第12SS装甲師団の反撃』に登場するカナダ軍連隊の歴史や伝統に関する情報については、カナダ国防省の歴史遺産理事会が何巻にも及ぶオンラインのリファレンスマニュアルである"Official Lineages"をhttp://www.cmp-cpm.forces.gc.ca/dhh-dhp/his/ol-lo/index-eng.aspに置いています。

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コメント

2行目の「連隊が活動化と自動車化の準備を」という部分ですが、
mobilizationには「動くようにする」という意味もありますが、軍事用語としては「動員」が適切ではないかと思います。
つまり原文の「were activated and prepare for mobilization」は
「戦時編成が施され、動員の準備が行われた」
とするのがようのではないかと愚考します。

ご参考までに。

もうひとつ。
このようなゲームルールの翻訳をはじめ、シリーズルールはもちろん、輸入ウォーゲームの和訳を流布することはプレイヤーに対する大きな助けとなり、その努力には大いに敬意を表するものではあります。
ですが、こと先日公開されたTCSの4.01シリーズルールに関しては、一読したところ、誤訳、表記のゆれ、訳語の選択、旧版のままで改定されていない文などがかなりあるように思いました。
特に誤訳に関してはプレーに支障の出そうなミスも散見されておりますので、もしお時間を使えるようであれば、ご確認いただいたほうがよいかもしれません。
今後とも、現在のそして将来のTCSプレイヤーがよりよい環境でこのシリーズをプレーできるよう望む次第です。
乱文、ご容赦ください。

さとう様

貴重なご意見ありがとうございました。
TCSに限らず、ウォーゲームはルールが非常に多く、複雑なものであるため、ご指摘のミスが多数出ていることにつきましては、甚だ反省するばかりです。

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