自称エースさんから
日曜日に、ソフトボールの助っ人を頼まれました。
天気予報は雨です。
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日曜日に、ソフトボールの助っ人を頼まれました。
天気予報は雨です。
デザイナーズノート
ノルマンディーに上陸した直後のカナダ臨時派遣軍は、アメリカ軍やイギリス軍と同等の扱いを受けていました。しかし、時間が経つにつれてアメリカ軍の部隊が増えていき、イギリス軍の作戦範囲は小さくなっていきました。カナダ軍の規模とその作戦範囲もドイツの重要な産業地域であるルール地方を目指して進撃するという大きな計画に沿って、相対的に縮小されることになっていました。しかし、それでもなおカナダ軍の役割は非常に重要なものでした。
フランスの海岸から低地諸国にかけてのカナダ軍の戦いは、移動距離は少ないながらも最初から最後まで頑強な抵抗に遭う激しい戦いになりました。その中でも、カーンやスヘルデ川の戦いは最も凄絶なものでした。彼らの粘り強い戦いの様子は、その敵であるドイツ軍兵士達とその指揮官達からも尊敬を受けるほどのものでした。なぜ作戦がうまくいかなかったのか、というヒトラーからの質問に対して、6月8日のロンメルの返答が残っています。「この作戦がカナダ軍でなければ、世界中のどの国の部隊であっても、我々は侵攻軍を海に追い落とすことができていたでしょう。」
西部戦線を扱った第二次世界大戦のゲームのほとんどは師団以上の大きな部隊規模でデザインされており、このゲームのような戦術戦闘をリアルに描き出すことはできませんでした。しかし、ディーン・エスイグ氏のタクティカル・コンバット・シリーズ(TCS)を導入することにより、いまだかつて描かれることのなかった多くの物語を盤上に描けるようになりました。TCSは、歴史に興味を持つゲームデザイナーに各国軍の戦闘ドクトリンをもたらす大きな機会を与えているのです。
私は1988年に『Meeting of Generals』(Tony Foster著)という、第3カナダ歩兵師団と第12SS装甲師団との戦いを描いた優れた記事を読み、それ以来『Canadian Crucible』のデザインを温めてきました。Tony Foster氏は、第7歩兵旅団の指揮官であった故H.W.Foster准将のご子息にあたります。1993年にTCSを初めて知ってから、私はこれこそが『Canadian Crucible』を最終ステージまで持っていくために必要な触媒であると考えるようになりました。
調査と検証に必要な原資料を集めるのに、思っていたよりも時間がかかりました。ドイツ軍師団に関する記録のほとんどが失われてしまっていて非常に厄介なことがわかったものの、Dean氏の助けによって公正で良質な情報を手に入れることができました。気にかかっていた問題の一つが、ドイツ軍の砲兵支援に関するものでした。第12SS装甲師団は全部で52門もの豊富な砲兵を持っていましたが、ゲームで描き出される時期のそれらの効果は非常に散発的なものでした。その理由の一つがカナダ軍の通信妨害です。上陸直後の最初の数日間、これは戦術レベルでドイツ軍に混乱と蹉跌をもたらしました。砲兵中隊と前進観測所との連絡はずっとうまくいかず、第25連隊と第26連隊との間の無線通信ですら、6月9日まで確立できませんでした。このことは、ドイツ軍の行動を大きく阻害しました。しかし、この電子戦(EW)は完全に一方的なものではなく、第12SS装甲師団も電子戦と対電子戦(CEW)専門の通信中隊を備えていました。最初の数日間、カナダ軍もこの部隊の作戦でいくらかの損害を被りました。ドイツ軍が通信コードセットを入手できれば、ドイツ軍はカナダ軍砲兵に対して、攻撃準備のために集結しているカナダ軍に対して砲撃命令を与えることができたのです。
最初の上陸に参加した4つのRCA連隊の全てに、それぞれ24両のプリースト自走砲(105mm砲)が加わっていたことは興味深いところです。元々の25ポンド野戦砲からの変換はD-Dayの直前に行われ、このことは第3歩兵師団の機動性を大きく向上させました。ただし、これらの連隊はノルマンディー上陸作戦中に25ポンド野戦砲を増援として後に受け取ります。
私はシロ・マニトバにあるRCAスクールからたいした情報を得ることができず、非常に失望させられました。私がそれまで入手していた情報では、砲4門を持つ各砲兵部隊はそれぞれの目標に有効な打撃を与えるか、そうでなくとも目標を制圧できたことを示唆していました。しかし実際には、たとえ砲兵中隊の8門、あるいは連隊の24門が集中して射撃したとしても、ドイツ軍側の損害はそれほど大きいものではなかったのです。当時、カナダ軍の弾薬の備蓄は海岸にあったのですが、危機に備えて節約されていました。これが、各シナリオで砲兵の弾薬が少ない理由です。背の高い小麦が観測を困難にしていたので、どちらにしてもカナダ軍は大隊規模で一斉射撃するようなことはできないでしょう。これらの戦いを読み解く上でしばしば見過ごされてきたのは、絶えず行われていた制圧射撃の他にも両軍による狙撃、ライフル、機関銃、迫撃砲等の散発的な射撃が常に存在していたということです。
第7歩兵旅団は全戦線にわたって第12SS装甲師団によって頻繁に偵察されており、RCAはカナダ軍の守備に賞賛に値する働きをこなしていました。
キャンペーンゲームではドイツ軍は膨大な数の戦車を持っています。史実におけるドイツ軍の意図は、自軍の戦車の損害をできるだけ抑えつつ、カナダ軍を最初の位置、あるいは集結予定エリアから追い返すことでした。このことから、ドイツ軍戦車の損失が勝利ポイントでマイナスになることをドイツ軍プレイヤーが気にかけるようにしました。
このゲームには、カーン近郊で起こった複数の小さな戦闘を再現した7つのシナリオがあり、これらはノルマンディーの戦いの最初の4日間において、カナダ軍がいかに危機的状況にあったかを知ることができるようになっています。シナリオで学んだことは、キャンペーンゲームで非常に役立つでしょう。
最後に、ゲーム盤とユニットの情報について一言。ウィルフリッド・ローリエ大学のMike Bechthold氏のおかげで、私は部隊の編制やそれぞれの戦いへの関与について必要な情報を十分に得ることができました。私は士気という要素について、できるだけ客観的に扱うように努め、敵との接触が強いられた際の両軍の持久力を表現したつもりです。
カナダ軍の士気値が(1)であるのは、多くの論争を巻き起こすかもしれません。しかし史実を見れば、ほとんどのカナダ軍の降伏は全ての弾薬が尽きてしまった後か、あるいは攻撃によって多大な損害が出た場合に限って起こっていたことが見てとることができ、この評価に納得が得られることと思います。カナダ軍は志願兵からなる良く訓練された軍隊であり、ただ一つ欠如していたのは戦闘経験でした。同様に、ヒトラーユーゲントも良く訓練されていたものの、戦闘を経験していませんでした。彼らは高い士気と自分たちの戦い方に対する揺るぎない自信を持ち、東部戦線で鍛えられた熟練の将校や下士官達に率いられていました。それはすばらしい組み合わせでしょう! この擲弾兵達は再三再四、時に戦力差が5倍以上持つカナダ軍やイギリス軍に立ちはだかったのです。それゆえ、ドイツ軍の第12SS装甲師団には1という士気値を与えました。
ゲーム盤の情報は豊富で、空撮写真や戦場地図、現在のフランスの1:25,000のブルーシリーズマップから距離を測りました。多くの地形情報に関して、Mike Bechthold氏から大きなアドバイスを受けたことに関して再び謝意を述べたいと思います。私の友人で退役軍人でもあるKen Reid氏は、フランス旅行の時の1:25,000の現在の地図を提供してくれました。
また、1944年6月に第3対戦車連隊の一員であったStanley Medland氏とLorne Hanson氏に対しても、心からの感謝を述べます。いくつか残っていた問題を解決させるには、この2人の力添えがなければ不可能でした。John Mundie氏とMike Traynor氏も、いくつかの部隊の配置を突き止めてくれました。
最後になりましたが、Perry Andrus氏の全面的な支援に対して特に深く感謝します。彼の支援と全ての事柄に関する真摯な態度がなければ、このプロジェクトは決して完成に至らなかったでしょう。
ゲーマーズのタクティカル・コンバット・シリーズのページからTCSシリーズルールv4.01の公式日本語ルールと日本語チャートを無料ダウンロードできるようになりました。
『第12SS装甲師団の反撃』のところに用意しました(このゲームからバージョンアップしました)。
http://www.sunsetgames.co.jp/the_gamers/tcs/tcs.htm
従来のTCSゲームは今後、v4.01のルールを使って遊んで頂くことを推奨します。もしゲームルールとシリーズルールで矛盾が生じた場合は、ゲームルールを優先して下さい(ゲーマーズも同様の形で推奨しています)。
『第12SS装甲師団の反撃』の公式日本語ルールを制作中です!
ミドルアース大阪本部のブログに、ミドルアース定例会レポートを公開しました。
http://sunsetgames.cocolog-nifty.com/middleearth/2014/01/post-944d-2.html
どなたでも、どしどしコメントお願いします。
ゲームマーケット2014大阪のホールマップが公開されました。
サンセットゲームズはA21、だいたい前回と同じ場所です。
日時 2013年3月9日(日)
会場 大阪OMMビル2階 B・Cホール
詳細はゲームマーケット公式サイトをご覧下さい。
今のところ、『戦国大名』と『聯合艦隊』の発売を、遅くてもここに合わせてもらうように印刷会社にお願いしていますが、なかなか大変みたいです。
制作を進めているのですが、印刷会社からようやく見積もりが届きました。パーツが多いからか、1ヶ月以上もかかりました。年始から印刷したいと考えていましたが、だいたい1ヶ月遅れのスケジュールになっています。いつもながら申し訳ございません。
それにしても、コストを圧迫しているのは箱と駒です。この2つで印刷コストの60%を占めているのでした。
発売は遅れますが、時期がわかり次第、公開しますのでお待ちいただければ幸いです。
『永遠の0』を読み終えた人には、次にぜひ『終わらざる夏』(浅田次郎著)を手にとって欲しいと思います。
日本はもう戦後ではなくなり、戦争の悲惨さを過剰に唱えることはなくなりました。
戦争=悪ではなく、もはや過去のものとして受け入れられ、誰かが悪いのではなく、時代の必然として描かれています。
そして現代の我々に、「未来を創る」義務を投げかけているのでしょう。
昨日は、伊丹市のクボタグラウンドで、新春ソフトボール大会でした。
自称エースさんは先頭打者ホームラン!と思いきや、次にキャッチャーフライ、ダブルプレーとしっかり帳尻を合わせてくれました(笑)。
ミドルアース大阪本部のブログに、ミドルアース定例会レポートを公開しました。
http://sunsetgames.cocolog-nifty.com/middleearth/2014/01/post-944d-1.html
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ミドルアース大阪本部のブログに、ミドルアース定例会レポートを公開しました。
http://sunsetgames.cocolog-nifty.com/middleearth/2014/01/post-944d.html
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『フィリップ王戦争』は発売前に物議を引き起こし、一歩間違えれば発売禁止になっていたそうです。
フィリップ王戦争の歴史とゲームメカニズム
「この戦争は、イギリスに不利益を数多くもたらしました。約600人が戦死し、そのうち12人は勇敢かつ屈強であり愛国心にあふれた指揮官でした。しかし一方で、教会の者達は家にいて全く問題ありませんでしたし、荒野で彼らの家族を危険に晒すこともありませんでした。
イギリス植民地における住居や食料の損失は15万ポンドにも達しました。1200軒もの家が焼かれ、家畜8000頭が大きいものも小さいものも全て殺され、何千もの小麦、豆、その他の穀物が失われました(そのうちマサチューセッツの損失は3分の1に満たず、大部分はニュー・プリマスとコネチカットのものでした)。インディアン側も男女、子供を合わせて3000人以上が戦死しました。しかし彼らは、友好関係を築いていれば、イギリス人にとって非常に有益でどんな難しい種類の労働でも任せられた仲間になれたと思われます。」
資料:Albert Bushnell Hart編『American History Told by Contemporaries』(New York, 1898), volume 1, 458-60.
上の引用は、植民地法の侵害について調査するためにジェームズ2世によって遣わされた、エドワード・ランドルフ特使による1685年の公式報告書のものです。ここでランドルフは、その損害の大きさについて詳述すると共に、イギリス人の傲慢さと現地人への蔑視がこの衝突の根本にあったのだということを言外に語っています。
イギリス人が最初にニューイングランドに移住した時、この土地はすでに多く強大な部族によって占められていましたが、彼らは近年の疫病の流行で多くの人工を失っていました。イギリス人の存在に不安はあったものの、ワンパノアグ族のマソサイト酋長は、この新参者との同盟が戦略的に有利であると考えました。ここで、ピルグリムの牧歌的な感謝祭の祝宴の伝説に、スクアント【訳注:英語を流暢に話せたワンパノアグ族の人物】が関与してきます。
不安定な協定は、移住者達がヨーロッパから送られてきた物資と豊富なビーバーの毛皮を交換できる間はなんとか続きました。しかし、ビーバーの毛皮が枯渇してくると、植民者達は物資と土地の交換を要求しました。移住者達は現住民達の先祖代々の狩り場に現れるようになり、土地所有の概念のなかった現地民達は白人達が土地を奪って囲いを巡らせたり、彼らが連れてきた家畜が野を荒らすのに怒りを募らせました。
これまででも部族間でのいさかいが、しばしば他部族との抗争をもたらしていましたが、ネイティブ同士の戦争は大規模な殺し合いよりも勇気と名誉を重んじて常に解決されてきました。しかし、現住民達の怒りが燃え上がって暴力にまで至った、イギリス側が言うところの1637年のピクォート戦争で、植民者達は戦争の新たなパラダイムを原住民達に教えることになりました。イギリス人は部族間を欺いて離間させ、ミスティック川のそばあったピクォート砦を大虐殺した上で焼き払い、原住民達にヨーロッパの無慈悲な戦争の概念を見せしめたのです。
部族の酋長達はこのような恐ろしいことが再び起こることを恐れながら、居心地の悪い半世紀を過ごしましたが、その間も両者は緊張を増大させていきました。この時代の記録は全てイギリス側の立場から書かれているため、ピューリタンの意見や先入観に強く影響されてしまっており、ネイティブ側の事情はほとんどわかりません。そのため、この蜂起【訳注:フィリップ王戦争】の真の火種や戦略について多くのことが未解明のままなのでした。
この戦争を起こした、イギリスではフィリップ王の名で知られるワンパノアグ族のメタカム酋長には、激怒するだけの正当な理由がありました。彼の兄はイギリス人達の強制尋問のすぐ後に、謎の病気によって死んでしまったのです。フィリップ自身も何度も何度も法廷へむりやり呼び出され、彼らの部族は土地を失うだけでなく、持っていた銃も奪われました。それに加えて、本来ネイティブの問題であるはずの殺害の件で部族の者達が植民地法廷の裁判にかけられ、絞首刑にされたのです。ここまでされてさえフィリップは平和(非常に危ういものでしたが)を望んでいたのですが、この若き勇者も、もはや部族の者達の憤りを抑えることはできませんでした。以下の2つのことは明らかです。1675年にはフィリップは戦争を始めよう思っていましたが、殺戮する気はなかったこと。そして、彼が周到な準備を完了する前にこの戦争は始まってしまったこと。
このゲームで遊んでみればわかるように、この戦争では戦線は形成されず、4つの白人植民地全てで戦いが吹き荒れました。しかし、甘く見ていた植民地軍は当初、連携も乏しく、移動はゆっくりしたもので、役に立たないヨーロッパの戦術で採用していました。会敵できないため、植民地軍は見せしめにコミュニティーを焼き払うことにし、敵の村々を破壊していきました。ほとんどの植民地は、全ての“インディアン”とその習慣に不信感を抱いていたのです。ネイティブとの同盟やネイティブの戦術を採用したベンジャミン・チャーチのような人物の知恵をイギリス人指導者達が理解して、ようやくこの戦争はイギリス側に有利に傾き始めました。
このゲームで再現されている、この戦争で非常に大きな影響を及ぼしたものはネイティブ・インディアンの食糧供給システムの破壊です。ネイティブ達の多くが戦いを離れていた事実が意味すところは、彼らはそうしなければ食料を手に入れられなかったということなのです。彼らの先祖伝来の土地は植民者達に破壊されており、このことがフィリップと彼の同盟者達にとって破滅的な冬をもたらしました。1676年の春にディアフィールドの北の鮭の産卵場に集まっていたネイティブ達への植民者側の大規模な攻撃は、飢餓に陥っていたネイティブ達の士気を大きく削ぐことになり、それがその夏以降の戦争行動に分裂を招いたと思われます。
このウォーゲームで再現されていない、この戦争のもう一つの暗い側面は、奴隷貿易という残酷な慣習です。この戦争中と戦争後に捕らえられたネイティブ達は奴隷としてカリブ海へ売られていきました。1000人の男女と子供達が船で南へ運ばれましたが、彼らの中にはそもそも戦争に参加していなかった者もいましたし、それどころか、中立の立場であった“祈りを捧げるインディアン(キリスト教への改宗者)”さえもいました。この奴隷貿易はネイティブへの罰、彼らが将来に戦争を起こす力を削ぐこと、そしてこの戦争自体への報いとして植民者達によって正当化されたのでした。
フィリップ王戦争はアメリカ合衆国の教科書ではささいな事柄として扱われていますが、合衆国の歴史に与えた影響は大きなものでした。この戦争は北東地域のネイティブアメリカンの軍事力を摩滅させ、ネイティブと植民者とのその後の関係を方向付けることになりました。フランスはこの反乱を支援し、新世界での関係を悪化させ続けました。そして、最も重要なことは、このフィリップ王戦争はイギリスのより大きな関心を引き、次にアメリカ人の独立戦争をもたらし、最終的にアメリカ合衆国への建国と至るのです。
ネイティブアメリカンの中には、今もってなおこの戦争の傷を生々しく抱き続けている人達がいます。このゲームのデザインが終わる頃に、ロードアイランド州のニュース記事がこのゲームを取り上げましたが、その結果、このゲームはネイティブに対する反感をもたらすと考えたネイティブの抗議団体の怒りを呼ぶことになりました。このゲームの発売禁止を訴えた街頭抗議はさらなる論説記事に飛び火して、それを扱ったAP通信社のニュース記事はアンカレッジ、アラスカ、さらにアラビアやミャンマーにまで配信されました。
ゲームデザイナーはあるラジオトークショーに招かれて、現代のニューイングランドの部族の人達の感情を聞く機会を持つことができ、より深い理解を得ました。ステレオタイプのインディアン像の見方が続くことを恐れる抗議者達は、このゲームの発売を止めようとしました。彼らはこのゲームが彼らの祖先を侮辱し、彼らの文化がニューイングランドからすでに消されてしまったのだという考えを強固にしてしまうものだと考えていたのでした。これ以後、抗議者達の代表者と協議を持つ試みを三度したのですが、マスコミの煽りが話し合いの可能性を阻害してしまったようでした。
このような経緯があっても、このウォーゲームが目指したものは決して変わっていません。それは常に、このほとんど無名でありながら我が国の歴史に極めて大きな影響を与えたこの戦争への知識と興味を増大させる、というものです。この『フィリップ王戦争』を発売するということによって、恐らく我々ーつまりMMP社とネイティブの抗議者達、それに私自身ーは、我が国において原住民の文化が今なお続いていることに理解と知識を増大させることになりました。皆さんもぜひ、さらに様々な文献を紐解いてみて下さい。それはあなたに新しい感慨をもたらすはずです。あなた方がこの戦争やこの時代に関する本を手にとって、より深く正しい理解を持つことを願っています。
いつのまにか、このブログの総アクセス数が75万回を越えていました。
このブログを開設したのが2004年10月ですから、ちょうど10年になります。
12月の集計を元にして販売ランキングを更新しました。
新発売のシックスアングルズ別冊第10号「パンツァークリーク」は全国のゲームショップで発売中です。
そして、やはり12月になると、『バトル・フォー・ジ・アルデンヌ』がランキング入りします。
なぜか、『ナポレオン』と『ユリウス・カエサル』のセールスがじわじわと続いています。
1 シックス・アングルズ別冊第10号
2 バトル・フォー・ジ・アルデンヌ
3 ナポレオン
4 10デイズ・イン・アフリカ
5 10デイズ・イン・ヨーロッパ
6 シックス・アングルズ第15号
7 ゴラン高原の戦い
8 ユリウス・カエサル
9 ナポレオン・アット・ライプツィヒ
10 シックス・アングルズ第12号
1日 初詣
2日 墓参り
4日 予定なし
5日 予定なし
9日 全日本不動産協会大阪東支部 役員会、新年賀詞交歓会
10日 十日えびす大祭(西宮神社)
11日 予定なし
12日 ミドルアース定例会
13日 ミドルアース定例会
15日 全日本不動産協会大阪府本部 新年賀詞交歓会
18日 アイアンクロスの試合(13時、伊丹クボタG)
19日 予定なし
22日 全日本不動産協会大阪府本部 取引相談委員会
25日 予定なし
26日 ミドルアース定例会
30日 全日本不動産協会近畿地区青年部連絡会
我が家のお雑煮は、丸餅、白味噌です。
あけましておめでとうございます。
昨年中は皆様に大変お世話になり、ありがとうございました。
本年もよろしくお願い致します。
皆様のご健勝とご多幸を心よりお祈り申し上げます。
平成26年
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