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2014年1月29日 (水)

『第12SS装甲師団の反撃』のデザイナーズノート

デザイナーズノート
ノルマンディーに上陸した直後のカナダ臨時派遣軍は、アメリカ軍やイギリス軍と同等の扱いを受けていました。しかし、時間が経つにつれてアメリカ軍の部隊が増えていき、イギリス軍の作戦範囲は小さくなっていきました。カナダ軍の規模とその作戦範囲もドイツの重要な産業地域であるルール地方を目指して進撃するという大きな計画に沿って、相対的に縮小されることになっていました。しかし、それでもなおカナダ軍の役割は非常に重要なものでした。
フランスの海岸から低地諸国にかけてのカナダ軍の戦いは、移動距離は少ないながらも最初から最後まで頑強な抵抗に遭う激しい戦いになりました。その中でも、カーンやスヘルデ川の戦いは最も凄絶なものでした。彼らの粘り強い戦いの様子は、その敵であるドイツ軍兵士達とその指揮官達からも尊敬を受けるほどのものでした。なぜ作戦がうまくいかなかったのか、というヒトラーからの質問に対して、6月8日のロンメルの返答が残っています。「この作戦がカナダ軍でなければ、世界中のどの国の部隊であっても、我々は侵攻軍を海に追い落とすことができていたでしょう。」
西部戦線を扱った第二次世界大戦のゲームのほとんどは師団以上の大きな部隊規模でデザインされており、このゲームのような戦術戦闘をリアルに描き出すことはできませんでした。しかし、ディーン・エスイグ氏のタクティカル・コンバット・シリーズ(TCS)を導入することにより、いまだかつて描かれることのなかった多くの物語を盤上に描けるようになりました。TCSは、歴史に興味を持つゲームデザイナーに各国軍の戦闘ドクトリンをもたらす大きな機会を与えているのです。
私は1988年に『Meeting of Generals』(Tony Foster著)という、第3カナダ歩兵師団と第12SS装甲師団との戦いを描いた優れた記事を読み、それ以来『Canadian Crucible』のデザインを温めてきました。Tony Foster氏は、第7歩兵旅団の指揮官であった故H.W.Foster准将のご子息にあたります。1993年にTCSを初めて知ってから、私はこれこそが『Canadian Crucible』を最終ステージまで持っていくために必要な触媒であると考えるようになりました。
調査と検証に必要な原資料を集めるのに、思っていたよりも時間がかかりました。ドイツ軍師団に関する記録のほとんどが失われてしまっていて非常に厄介なことがわかったものの、Dean氏の助けによって公正で良質な情報を手に入れることができました。気にかかっていた問題の一つが、ドイツ軍の砲兵支援に関するものでした。第12SS装甲師団は全部で52門もの豊富な砲兵を持っていましたが、ゲームで描き出される時期のそれらの効果は非常に散発的なものでした。その理由の一つがカナダ軍の通信妨害です。上陸直後の最初の数日間、これは戦術レベルでドイツ軍に混乱と蹉跌をもたらしました。砲兵中隊と前進観測所との連絡はずっとうまくいかず、第25連隊と第26連隊との間の無線通信ですら、6月9日まで確立できませんでした。このことは、ドイツ軍の行動を大きく阻害しました。しかし、この電子戦(EW)は完全に一方的なものではなく、第12SS装甲師団も電子戦と対電子戦(CEW)専門の通信中隊を備えていました。最初の数日間、カナダ軍もこの部隊の作戦でいくらかの損害を被りました。ドイツ軍が通信コードセットを入手できれば、ドイツ軍はカナダ軍砲兵に対して、攻撃準備のために集結しているカナダ軍に対して砲撃命令を与えることができたのです。
最初の上陸に参加した4つのRCA連隊の全てに、それぞれ24両のプリースト自走砲(105mm砲)が加わっていたことは興味深いところです。元々の25ポンド野戦砲からの変換はD-Dayの直前に行われ、このことは第3歩兵師団の機動性を大きく向上させました。ただし、これらの連隊はノルマンディー上陸作戦中に25ポンド野戦砲を増援として後に受け取ります。
私はシロ・マニトバにあるRCAスクールからたいした情報を得ることができず、非常に失望させられました。私がそれまで入手していた情報では、砲4門を持つ各砲兵部隊はそれぞれの目標に有効な打撃を与えるか、そうでなくとも目標を制圧できたことを示唆していました。しかし実際には、たとえ砲兵中隊の8門、あるいは連隊の24門が集中して射撃したとしても、ドイツ軍側の損害はそれほど大きいものではなかったのです。当時、カナダ軍の弾薬の備蓄は海岸にあったのですが、危機に備えて節約されていました。これが、各シナリオで砲兵の弾薬が少ない理由です。背の高い小麦が観測を困難にしていたので、どちらにしてもカナダ軍は大隊規模で一斉射撃するようなことはできないでしょう。これらの戦いを読み解く上でしばしば見過ごされてきたのは、絶えず行われていた制圧射撃の他にも両軍による狙撃、ライフル、機関銃、迫撃砲等の散発的な射撃が常に存在していたということです。
第7歩兵旅団は全戦線にわたって第12SS装甲師団によって頻繁に偵察されており、RCAはカナダ軍の守備に賞賛に値する働きをこなしていました。
キャンペーンゲームではドイツ軍は膨大な数の戦車を持っています。史実におけるドイツ軍の意図は、自軍の戦車の損害をできるだけ抑えつつ、カナダ軍を最初の位置、あるいは集結予定エリアから追い返すことでした。このことから、ドイツ軍戦車の損失が勝利ポイントでマイナスになることをドイツ軍プレイヤーが気にかけるようにしました。
このゲームには、カーン近郊で起こった複数の小さな戦闘を再現した7つのシナリオがあり、これらはノルマンディーの戦いの最初の4日間において、カナダ軍がいかに危機的状況にあったかを知ることができるようになっています。シナリオで学んだことは、キャンペーンゲームで非常に役立つでしょう。
最後に、ゲーム盤とユニットの情報について一言。ウィルフリッド・ローリエ大学のMike Bechthold氏のおかげで、私は部隊の編制やそれぞれの戦いへの関与について必要な情報を十分に得ることができました。私は士気という要素について、できるだけ客観的に扱うように努め、敵との接触が強いられた際の両軍の持久力を表現したつもりです。
カナダ軍の士気値が(1)であるのは、多くの論争を巻き起こすかもしれません。しかし史実を見れば、ほとんどのカナダ軍の降伏は全ての弾薬が尽きてしまった後か、あるいは攻撃によって多大な損害が出た場合に限って起こっていたことが見てとることができ、この評価に納得が得られることと思います。カナダ軍は志願兵からなる良く訓練された軍隊であり、ただ一つ欠如していたのは戦闘経験でした。同様に、ヒトラーユーゲントも良く訓練されていたものの、戦闘を経験していませんでした。彼らは高い士気と自分たちの戦い方に対する揺るぎない自信を持ち、東部戦線で鍛えられた熟練の将校や下士官達に率いられていました。それはすばらしい組み合わせでしょう! この擲弾兵達は再三再四、時に戦力差が5倍以上持つカナダ軍やイギリス軍に立ちはだかったのです。それゆえ、ドイツ軍の第12SS装甲師団には1という士気値を与えました。
ゲーム盤の情報は豊富で、空撮写真や戦場地図、現在のフランスの1:25,000のブルーシリーズマップから距離を測りました。多くの地形情報に関して、Mike Bechthold氏から大きなアドバイスを受けたことに関して再び謝意を述べたいと思います。私の友人で退役軍人でもあるKen Reid氏は、フランス旅行の時の1:25,000の現在の地図を提供してくれました。
また、1944年6月に第3対戦車連隊の一員であったStanley Medland氏とLorne Hanson氏に対しても、心からの感謝を述べます。いくつか残っていた問題を解決させるには、この2人の力添えがなければ不可能でした。John Mundie氏とMike Traynor氏も、いくつかの部隊の配置を突き止めてくれました。
最後になりましたが、Perry Andrus氏の全面的な支援に対して特に深く感謝します。彼の支援と全ての事柄に関する真摯な態度がなければ、このプロジェクトは決して完成に至らなかったでしょう。

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