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2013年9月27日 (金)

『キングダム・オブ・ヘブン』のシナリオ

『キングダム・オブ・ヘブン』のシナリオは9つあります。
第一回十字軍(練習シナリオ)はわずか3ターンで、手軽にルールを覚えられます。

A.神の御心のままに!(Deus lo Vult!):第一回十字軍(練習シナリオ)
B.Quantum Praedeccessorres:第二回十字軍
C.The Fall of the Caliphate:エジプト侵攻
D.Audita Tremendi:第三回十字軍
E.Quia Maior:第四回十字軍
F.The Promise of St.Louis:第七回十字軍
G.Storm From the East:モンゴル襲来
H.The Lion of Egypt:Rukn ad-Din Baibars Bundukdari
J.Failed Alliance:十字軍の崩壊

A.神の御心のままに!(Deus lo Vult!):第一回十字軍(練習シナリオ)
背景:1025年、東ローマ帝国(ビザンティン帝国)はバシレイオス2世統治の下、バルカン半島、アナトリア半島、シリア、最も高貴な都市アンティオキアを支配する大帝国として繁栄していました。しかし、災害が降りかかったところに、老齢・病弱・無能な皇帝が続いて国内が混乱します。そこに東からセルジューク・トルコが侵攻してきて、セルジューク・東ローマ戦争が勃発しました。1071年のマラズギルトの戦いで、セルジューク朝が勝利をおさめ、東ローマ皇帝ロマノス4世ディオゲネスは捕虜になりました。
この危機によって、西ヨーロッパの勢力図が変わりました。ウルバヌス2世はカトリック教会の新しい力を結集して、キリスト教世界の復活と武装した巡礼者による聖地エルサレムの奪回を訴えました。彼はすでに、イスラム教徒からスペインのタラゴナを奪回した騎士達には免償(罪の償いの免除)が与えられると宣言しており、セルジューク・トルコの圧迫に苦しんでいる東ローマ帝国皇帝アレクシオス1世コムネノスの依頼にも同様の活動を考えました。ウルバヌス2世は1095年のクレルモン公会議で、集まった騎士達にエルサレム奪回を呼びかけ、軍隊の派遣を訴えたのでした。
騎士達の反応はウルバヌス2世の予想を超えるものでした。フランスやフランダース、イタリアのノルマン人の他、ヨーロッパ各地から貴族や重装歩兵、非武装の兵士達が集まったのです。トゥールーズ伯レーモン4世、ゴドフロワ・ド・ブイヨン、ブルゴーニュ伯ボードゥアン、タラント公ボエモン、ガリラヤ公タンクレードも参集しました。そして、この熱狂の本来の目的が、東ローマ帝国の救援から次第に十字軍遠征へと移っていきます。
コンスタンチノープルのアレクシオス1世は、巨大な軍隊と数万の民衆が向かってくることに恐怖を隠せませんでした。彼らの空腹を満たすだけの食料は膨大な量になります。さらに、ノルマン人の参加には懐疑的でした。彼らは南イタリアのビザンティン帝国領を奪い、アドリア海沿岸の東帝国領に襲撃を繰り返していたのです。彼は十字軍の指導者達に食料を提供する代わりに、自分に臣下として忠誠を誓い、これまでに占領した土地を全て東ローマ帝国に引き渡すことを求めました。十字軍は裏切られた思いでしたが、結局、要求を受け入れました。しかし、後に多くの者がこの時の誓いを反故にしました。
最初に小アジアにたどり着いたのは、隠者ピエールに率いられた民衆十字軍でした。しかし、飢餓とセルジューク・トルコの攻撃によって倒れていきました。十字軍の本隊が到着したのは1096年のことでした。

その後:十字軍は1097年のドリュラエウムの戦いでセルジューク朝に勝利しました。小アジアを通っていた十字軍の別の部隊は峻険な地形のため進軍が遅れていましたが、なんとか8月にイコニウムにたどり着きます。ヘラクレイアで再びセルジューク朝を撃破した十字軍は、トーラス山脈を迂回する安全なルートを選択しました。しかし、ボードゥアンとタンクレードは別の道を選びました。タンクレードは距離の短いトーラス山脈越えを決め、ボードゥアンはエデッサに向かい、その後エデッサ伯国を建国しました。そして、十字軍は1098年始めにアンティオキアに着きました。
アンティオキア攻囲戦は最も有名な戦いの一つです。この戦いは十字軍指導者達の対立が激しく、6月3日にアンティオキアの町を制圧しても、山頂にある要塞にはいまだセルジューク朝の守備隊が立てこもっていました。この十字軍の勝利は短いものでした。セルジューク朝のスルタン、ケルボガが大軍と共にアンティオキアに到着し、逆に包囲されてしまったのです。この厳しい戦いの中で、ペトルス・バルトロメオという貧しい修道士が聖槍を発見したと主張し始めます。聖槍は十字架上のイエス・キリストのわき腹を刺したとされる槍で、イエスの血に触れた聖遺物の一つでした。そして、この話は十字軍全体に伝わり、兵士達の士気が急速に高まりました。彼らはケルボガの軍を撃退します。
戦いの後、ボエモンはアンティオキアに新国家を建設しました。レーモン4世とゴドフロワに率いられた十字軍本隊は南のパレスチナに向かい、ファーティマ朝の国境を越えました。パレスチナはつい1年前に、ファーティマ朝がセルジューク朝から奪ったところだったのです。1099年、軍勢はついにエルサレムの包囲を始め、大きな抵抗もなく征服に成功しました。十字軍は休む間もなく、カイロから援軍でやってきたファーティマ朝のアル・アフダルをガザで打ち負かしました。
第一回十字軍は、エルサレム王国、アンティオキア公国、エデッサ伯国、トリポリ伯国といった十字軍国家をパレスチナとシリアに成立させ、巡礼の保護と聖墳墓の守護という宗教的目的を達成しました。

Kingdom1

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