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2013年3月20日 (水)

『ブリッツクリーク・レジェンド』のデザイナーズノート他

まもなく公式日本語ルールが完成しそうで、来週には発送できると思います。そこで、デザイナーズノートとディベロッパーズノートを公開します。なかなか読み応えのある記事なので、これを機会に『ブリッツクリーク・レジェンド』に興味を持って頂けたいと思います。我々もキャンペーンゲームを計画中です!

デザイナーズノート
 このゲームの名前は、『The Blitzkrieg Legend:The 1940 Campaign in the West』[訳注:原典はドイツ語の書籍『Blitzkrieg-Legende. Der Westfeldzug 1940』。邦訳『電撃戦という幻』大木毅・安藤公一共訳]という本からとられています。カール・ハインツ・フリーザー氏が執筆したこの本は、「1940年の奇跡」がどのように起こったのかを詳細に分析し、それが当初から「電撃戦」として計画され実行されたという伝説が間違っていることを白日の下に晒しました。この本は、この戦役を俯瞰する入門本や、この戦役の物語ではなく、戦役が勝利に向けて導かれる個々の局面を非常に詳しく述べたものです。
 フリーザー氏の分析によれば、「電撃戦」の伝説は、この戦役が終わった後に作られたものです。フランスの敗北はドイツが新たに考案した電撃戦によるものだと説明され、この戦略があまりにも革新的であったために連合軍が敗北したのはやむを得ないとされたのでした。電撃戦はナチスのプロパガンダでも、ヒトラーによって新たに考案された革命的な戦争という伝説を作るために利用されました。このように、勝利した側にとっても敗北した側にとっても、電撃戦は好ましいものとして受け入れられたのでした。
 ところが、1940年のドイツ軍の成功は事前に計画されてそうなったものなのではなく、むしろこの戦役の間、ドイツ軍の上級司令部は予想以上の大成功に怯えていたのです。実際、装甲部隊がセダンを突破した時、ヒトラーはそのことを「完全に奇跡だ」と言ったほどでした。ヒトラーと多くの老将軍達は、すぐに装甲師団の前進スピードに懸念を示し、これはなにか連合軍の罠に突っ込んでいっているのではないかと考え始めました。この罠に対する恐怖と、幾人かのドイツ軍前線指揮官(特にグデーリアン)の独断の行動が、ダンケルク直前での停止命令の原因となったのでした。
 私がディーン氏から最初に学んだことは、実際に起こった状況へ導くようにルールを作ってもうまくいかないということでした。それで私はデザインの力を抜いて、OCSシリーズの長所を利用しようと考えました。アクション・レーティングや移動力、司令部の補給範囲等の基礎的な数値こそが、コマンド・コントロールにおいて相対的な相違を見せられる数少ない明確な手段でした。最終的に私が目指したものは、当時のドイツ軍と連合軍の指揮官達が置かれた状況にプレイヤー達に立ってもらえるゲームでした。圧倒的なドイツ軍の勝利が完全には確定していない状況を楽しめるように願っています。

デベロッパーズノート
 まず最初に、私の胸の内を吐露させて下さい。私はこのゲームの名前の元となった本の内容にはあまり配慮していません。少なくとも、翻訳しながら『The Blitzkrieg Legend』を読むのは非常に長くつらい仕事です。私はRonald Powaski氏の『Light-ning War』やJulian Jackson氏の『The Fall of France』等のフリーザー氏の本のような軍事的に詳細に書かれているものよりも重要な部分を理解しやすくまとめている本の方がはるかに好みでした。1969年のAlistair Horne氏の『To Lose a Battle』は少し古いですが、すばらしい本です。
 あなたがどの本を読んだとしても、OCSのような複雑なルールシステムでさえ再現が難しい要素に溢れている戦役なのです。その重要な点をいくつか話しましょう。
 マジノ線は恐らく、独仏国境全体を守るものとしては悪くないものでした。フランスの犠牲を考えれば、(ドイツと比較して)コンクリートを味方につけられる優位がありました。この防御壁を構築するコストは戦車や飛行機を作るよりも安価だと考えられていました。ドイツも1930年代に(フランスとポーランドの国境に)堅固な防壁を築いていました。それに1940年の時点で、フランス軍は敵と比較して最新兵器の量が上回っていたのです。
 マジノ線は、イギリス海峡まで到達していませんでした。マジノ線のない部分はセダン周辺から始まり、リール近くのベルギー国境に沿った工業地帯は全く要塞化されていませんでした。海岸線近くの防御の弱い地域は、ディール川の線を要塞化する(ドイツ軍が攻撃してきた時に、イギリス大陸派遣軍とフランス軍がこのベルギー中央の線を守備するものと事前に計画されていました)ことになっていたのですが、実際には全く行われませんでした。1940年当時、世界で最も堅固だと宣伝されていたエバン・エマール要塞が、数日間はこの東の国境を保持できるものと期待されていたのです。
 興味深いのは2つのニアミスです。ドイツ軍は、実は1939年から40年にかかる冬に攻撃を開始しようとしました(これは大失敗に終わったかもしれません!)。ベルギー軍も、その1月にイギリス大陸派遣軍とフランス軍の「進駐」を許可し、ディール川沿いで連合軍部隊がドイツ軍と会敵するように計画されました。墜落した飛行機が載せていたドイツ軍の攻撃計画の詳細を連合軍が入手していなかったならば、という仮定の話は、このゲームデザインの範囲を超えています。
 冬のドイツ軍の攻勢作戦は、恐らく1914年を繰り返すことになったでしょう。彼らは、強固に防御されている連合軍左翼までは前進したと想像できます。しかし、この時の計画の目標は非常に限定されたものにすぎず、歴史上実際に行われたような決定的勝利を目指すものではありませんでした。飛行機の墜落によってドイツ軍の攻撃計画のコピーを連合軍が手に入れたのではないかという恐れのために、その冬の攻撃戦略はアルデンヌの森を通り抜けることに主眼を置いたマンシュタインによる大胆な案に置き換えられることになったのです。その計画は、連合軍を2つに「鎌で切り」、決定的勝利を目指すものでした。
 一方、連合軍も配置計画の修正を始めていました。政治的な理由により、兵力の配置によってオランダも支援する必要が出てきたのです。このため、フランス第7軍が予備からディールラインの左にあるオランダのブレダ(Breda)周辺に配備されることになりました。しかし、この位置はミューズ川の突破に対応できるところではなかったので、この強力な機動部隊はこの戦役の最初の四日間をオランダへ移動し、戻るためだけに時間を浪費することになりました(フランス第7軍はアントワープの北に着いてから、すぐに退却したのでした)。
 フランス第7軍の運用の失敗とベルギーへの前進という戦略的な重大ミスを特別ルールによって再現する方法もありましたが、単に5月11日からゲームを始めることにしました。そのため、ディール計画は(仮想戦のキャンペーンゲームを遊ばなければ)自動的に実行され、アルデンヌを通り抜けてくるドイツ軍に対して、史実通り脆弱な側面をさらすことになります。
 フランス軍の問題は、事前の移動計画が完了した5月12日に終わったわけではありませんでした。最高司令部では奇妙なことに、その指揮系統がガムランとジョルジュの間で分割されており、両者の間や遠く隔たった前線との連絡は問題の多いものでした。連合軍司令部の広範囲に及ぶ指揮系統の問題は、司令部の補給範囲の狭さや、予備モードや戦略移動モードのマーカーの数の少なさで表現されています。
 この戦役に関するどの本を紐解いたにせよ、最前線でもドイツ軍とフランス軍のリーダーシップに大きな差があったと大きな印象を持つことでしょう。セダンやその他の数多くの決定的な戦いで、(第19軍団指揮官のハインツ・グデーリアンのように)ドイツ軍の将軍達は前線に立ち、自ら戦いを指揮していました。ところが、同じ戦いでは、フランス第55師団の指揮官であったラフォンテーヌは戦闘中に司令部を避難させ、パニックを引き起こしていたのです。
 セダンでのパニックは、長い冬の間に「なぜポーランドのために戦わなければならないのか?」といったプロパガンダ戦によって、フランス軍兵士の士気が低下していたことを反映していました。さらに多くの部隊が消極的な状態になっていました。彼らは、大規模な機動演習や実弾を使った訓練に勤しまなかったのです。それとは対照的に、ドイツ軍はミューズ川の渡河訓練に励み、指揮や技量について磨きをかけていきました。
 実のところ、1940年のフランス軍が何かに「励んで」いたということを書物から知ることはできません(逃げるということを除けば……)。戦前に「フランスのグデーリアン」と知られていたフラヴィニー将軍でさえ、ストンヌでの反撃でいくつもの遅延を生じさせました。しかも、この攻撃は歩兵指揮官に戦術上の指揮権を与え、戦車を支援車両として運用することで、電撃戦とは正反対のものに堕してしまいました。その手に力を持つどころか、自ら素手になってしまったのです。
 私がこのゲームのデベロップを始める時に、ゲームデザイナーのHans Kishel氏が私に語ったことは、この戦役における連合軍の問題点を鋭く要約するものでした。それは、フランス軍がその中戦車を移動させる時には列車を使用していた、ということです。中戦車は支援用の車両として設計されていたので、小さい燃料タンクしか持っておらず、列車によって運ばれるのでなければ信じられないほど短距離しか移動できなかったのでした。さらにフランス軍は、戦車に積んで燃料補給できるジェリー缶を持っていませんでした。このため、フランス軍は燃料を運ぶためにトラックに頼らざるを得なくなり、必要な時に必要な場所に存在することを困難にさせたのでした。さらに我々は特別ルールを作る誘惑に打ち勝たなければなりませんでした-フランス軍戦車は低速ですが、通常の移動モードを持っています。
 連合軍が失敗したことは当然としても、フランス軍の最前線にいた師団が善戦したことは特筆されるべきです。彼らはドイツ軍が得意とするテンポの速い戦闘に対する準備が全くできていませんでした(これは移動モードの連合軍のARが低下している理由です)。それでも、(『クデーリアンズ・ブリッツクリークⅡ』で)一年後にモスクワを防衛するソ連軍より質の高い部隊で、フランス軍プレイヤーはパリを守ることになるでしょう。
 我々はこれまで何度もOCSの中でドイツ軍を見てきたので、ドイツ軍のレーティング設定はかなり容易でした。一見してドイツ軍は優秀ですが、全てそうではありません。ドイツ軍には、かなりの数の実戦経験のない部隊があり(それらはポーランド戦役後に編成されたものです)、それゆえ全般的なドイツ軍のARは1941年のものほど高くはありません。電撃戦の主役である装甲師団にさえ専用トラックが与えられておらず、航空機はヒップシュート能力を持っていません(これはスツーカにのみ与えられています)。このような状態にもかかわらず、ルフトヴァッフェとドイツ装甲師団との連携は強烈な印象を残します。
 この戦役の直後に、連合軍はあまりにも早すぎる敗北を、「電撃戦」という革新的な戦闘メカニズムによってもたらされたものだと考えました-実際のところ、ドイツ軍の猛攻は重要な役割を果たしていたのです。しかし、本当の敗北の要因は全く陳腐なのものでした。オランダでは、戦争の新機軸となる劇的な空挺降下作戦が実施されたことと、ドイツ第9装甲師団がロッテルダム郊外に5月13日に進撃したことが決定的でした(空挺降下した降下猟兵は、迅速に装甲師団が到着しなければ全滅するところでした)。そして、ベルギーとフランスでは、連合軍は「ゆっくりとした」古い戦い方で負けたのでした-彼らはドイツ軍の機動と意志決定の早さについていくことができなかったのです。しかし、そのことを考慮したとしても、連合軍がフランス第7軍を予備のままにしていれば、うまく対処できた可能性があります。
 連合軍指揮官として、あなたはかなり困難な戦いに直面することでしょう。ドイツ国防軍はいわば500ポンド(約227kg)のゴリラです。さらに、自分の部隊の少ない移動力とも常に苦闘するはずです。これは苛立ちを引き起こすでしょう。あなたが実行したいことでも、その移動を実行できるだけの鉄道輸送力や移動力が不足しているのです。連合軍はミューズ川沿いの戦線をなるべく頑強に保持しながら、ベルギーの地歩を必要に応じて明け渡していくのがよいと戦略です。連合軍はドイツ軍の装甲部隊に抱きついてクリンチし、釘付けにするだけの砲兵力は持っていますが、ミューズ川を越えて開けた野を走っていく装甲部隊についていくのは絶望的な試みです。
 史実では5月15日-ゲームでは3ターン終了時です!-にフランスのポール・レイノー首相はイギリスのウィンストン・チャーチル首相を呼び、連合軍はすでに敗北したことを告げました。オランダは前日の夜から武器を置き始め、さらにドイツ軍の装甲部隊がセダンからディナンにわたってミューズ川を押し渡り、フランスの防御線の中央に幅50マイルの裂け目ができていることが明らかになっていたのでした。もちろん、この後も戦争は続きますが、この戦役は開始から一週間以内に勝敗が決まっていたのでした。
 連合軍の運命は最初から決まっていたのでしょうか? 同様に、これは学ぶ価値のある歴史的モデルでしょうか? これらは、フランス崩壊後70年を経た今でも興味深い問題であり続けています。ドイツ軍が史実で進撃したコースを邪魔するために様々な「ゲーム的手法」を試みられましたが、それらはどれも第1ターンの初期配置の時点ですでに連合軍のディール計画が発動されており、ドイツ軍のダブルターンに直面しなければならないことによって限定されたものになっています。代わりに、鎌で刈ったところの背後にある危険を強調することで、もしドイツ軍部隊の到着を数ターンにわたって遅らせることができれば、彼らの計画は頓挫してしまうことを発見するでしょう。ドイツ軍は最強の陸軍と空軍を持っており、リエージュを通過する1914年のルートを通ってでもパリに到達することはができるかもしれません-しかし、そのルートは大量のSPと時間を必要し、このゲームにおける利点は多くありません。
 プレイングを促進するために、いくつかの仕掛けを用意しています。5月10日のベルギーのアルデンヌ猟兵とオランダの軽師団の初期配置をランダム配置にしています。「ダイナモ作戦」シナリオでは、サイコロを振って直前ターンのドイツ軍の鉄道妨害の成否を決定してから始めます。また、より良い(希望の持てる)連合軍の作戦を試すことができるように、キャンペーンゲームでは様々な初期配置のバリエーションを用意しています。
 『ブリッツクリーク・レジェンド』はビッグゲームなので、13ターンの長さのシナリオを遊んだとしても、早くは終わりません。しかしこのゲームも他のOCSゲームと同様に、、新しい戦略を試すために何度も繰り返して遊べるゲームです。大モルトケの言葉を引用すれば、完璧な戦略とは、その計画の中で想定していなかったような難敵に(あるいは非常に不幸なダイスの目に)出会ったとしても柔軟に対応できるものなのです。これができる優秀なOCSプレイヤーは熟考の後にリスクを取ります。そして、今遊んでいるゲームが終わったら、すぐに次の新しい戦略を試してくるのです。

ボックスアートもカッコイイのです!

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