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2005年10月 8日 (土)

『クルセイダーレックス』の翻訳

このゲームのテーマは第3回十字軍です。

1189年~1192年。1187年に「イスラムの英雄」サラーフッディーン(サラディン)により、およそ90年ぶりにエルサレムがイスラム側に占領された。教皇グレゴリウス8世は聖地奪還のための十字軍を呼びかけ、イングランドの獅子心王リチャード1世、フランス王フィリップ2世、神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ1世が参加した。フリードリヒ1世は1190年にキリキアで溺死し、あとを継いだイングランドとフランスの十字軍が1191年にアッコンを奪還した。その後フィリップ2世は帰国し、リチャード1世がサラーフッディーンと休戦協定を結んだことで聖地エルサレムの奪還は失敗に終わった。(アッコンを確保したことでエルサレム巡礼の自由は保障された)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より


『ハンマー・オブ・ザ・スコッツ』や『リバティ』と、だいたい同じ感じのルールですが、背景がよくわからないもので、以下の訳文が正しいかどうか、どなたか検証して頂きたく思います。
日本語ルールは一昨日から着手して、すでに半分以上終わっていまして、今日の夕方には完成する予定です。

Fragile Alliances
Both the Franks and the Saracens had to contend with internal tensions that threatened to rip their forces apart.
Saladin’s hold on power was tenuous. He faced external threats from emirs in Turkey, Armenia,and Baghdad. Egypt and Iraq smoldered with sedition and vanquished Zangi loyalists had to be watched carefully.
Outremer was a seething cauldron of intrigue and tension. King Guy was bitterly opposed by the Hospitallers, Count Raymond of Tripoli,and Baldwin’s widow Maria Comnena, a princess of the Byzantium Empire – all of whom thought the new king a weak interloper. After the disaster at Hattin, for which King Guy was responsible, internecine conflict continued with Conrad of Montferrat – who wanted the crown for himself.
The Crusaders were also at each other’s throat. Richard’s last-minute rejection of Philip’s sister as his bride (because she had been the mistress of his father, Henry II) so soured relations that the French King spent only four months in Palestine before sailing home to plot the seizure of Richard's extensive holdings in Normandy,Anjou, and Aquitaine. Three times thereafter the French army under the Duke of Burgundy abandoned the field and twice the French refused to fight – once in September 1191 when Richard proposed invasion of Egypt and again in June 1192 when Richard proposed a final march on Jerusalem.

不安定な関係
フランク王国とサラセン帝国は、常に不在中の国内問題を抱えていました。
サラディンは統治基盤は脆弱でした。トルコやアルメニア、バグダッドの首長と対立しており、エジプトとイラクにも不穏な空気が漂っていました。さらにはザンギー朝擁護派を常に見張っていなければならなかったのです。
アウトリーマーは、陰謀と対立の煮えたぎる大釜でした。ガイ王は騎士団やトリポリのレイモンド伯爵、ボールドウィンの未亡人マリア・カムネナ、ビザンティン帝国の女王などと対立し、彼らは新しい王は弱々しいもぐり商人だと揶揄しました。ハッティンの大事件の後、ガイ王は責任を問われてモンフェラーのコンラードと争いが続きます--彼はガイ王の地位を狙っていたのです。
とはいえ、十字軍も同じような状態でした。フィリップの親族によるリチャードへの強い抵抗によって(彼女は父であるヘンリーII世の愛人だったため)、このリチャードI世とフィリップII世の中は非常に気まずい関係でした。そして、このフランス王は4ヶ月だけパレスチナに留まり、リチャードの持つノルマンディやアンジュー地方、アキテーヌ盆地の広大な領地の奪い取ろうと画策していたのでした。その後、3回にわたってバーガンディ公爵は領地を失い、フランスは2回にわたって戦闘を避けました--最初は1191年9月のリチャードがエジプト侵攻を計画していた時、二度目は1192年6月のリチャードがエルサレムへ最後の侵攻作戦を計画していた時です。

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コメント

試訳です.うまく訳せないところ,英文のタイプミスではないかと思われるところもありますが,ご参考までに

フランク人(西欧人)とサラセン人(イスラム教徒)はいずれも,各々の陣営が分裂しかねない内部対立に苛まれなければならなかった.

サラディンの権力は脆弱だった.彼はトルコ,アルメニア,バグダードのアミール(土侯)の脅威に直面していた.反乱の兆候を示すエジプトとイラク,さらにはザンギー朝の残党を注意深く監視せねばならなかった.

海外領土(十字軍国家)は陰謀と内紛に沸き立つ大釜だった.ギー王は騎士修道会,トリポリ伯レーモン,そしてボードワンの未亡人マリア・コムネナ(ビザンツ帝国の皇女)と深刻に対立しており,彼らのすべてが新たな王を惰弱な簒奪者だとみなしていた.ハッティンの大敗北の後,ギー王は戦犯と目され,王冠を欲するモンフェラート侯コンラッドとの間で内紛が続いた.

十字軍もこれとは別の脅威に悩まされていた.リチャードがフランス王フィリップの姉との婚約を破棄し(リチャードの父のヘンリ2世の寵愛を受けていたため),両者の関係は気まずいものとなった.そのためフランス王はパレスティナには4ヶ月しか滞在せず,リチャードが持つノルマンディ,アンジュー,アキテーヌの広大な所領を征服する計画のために帰国してしまった.その後,ブルゴーニュ公率いるフランス軍は三度にわたって戦場から離脱し、フランス人は二度にわたって従軍を拒絶した ―― 最初はリチャードがエジプト侵攻を計画した1191年9月,次はリチャードがイェルサレムへの最後の進軍を計画した1192年6月のことである.

訂正します.

The Crusaders were also at each other's throat.
十字軍も内部抗争に明け暮れていた

そのほか:
・「ザンギー朝の残党」は意訳が過ぎるかもしれません
・"abandoned the field" を「戦場から離脱し」と訳したのは逐語訳ですが,「本来の持ち場を離れる」とか「本来の目的を逸脱する」といった意味の言い回しなのかもしれません

たびたびすみません.

"the Hospitallers" は聖ヨハネ騎士修道会(ヨハネ騎士団)でなければなりません.

早速のご回答、ありがとうございます。
とても助かりました。
一応、日本語ルールブックは完成したのですが、ヒストリカルな説明が結構多くて…。

巻末には人名辞典も付いていますし、また同様のお願いをアップしようと思っています。
(↑早速、明日からいくつか、と思っています)
その時は、にゃまさんに限らず、ご都合が合う方、ご回答よろしくお願いします。

こんにちは、Giftzwergです。

昨日、この掲示板に気が付きました。
もし手遅れだったらごめんなさい。

にゃまさんの試訳で気になる箇所を書きます。

>トルコ,アルメニア,バグダードのアミール(土侯)

トルコについては、ルーム朝を指しているのでアミール(土侯)でよいと思います。
しかし、アルメニアは、当時キリキア地方にあったアルメニア系の王(侯)国のことだと思います。
(東方系のキリスト教国)
また、バグダートはアミール(土侯)ではなく、カリフ(教主)です。
英文中の「emirs in 」は「Turkey」だけにかかる修飾語で「Armenia」以降にはかからないことになります。


>ボードワンの未亡人マリア・コムネナ(ビザンツ帝国の皇女)

ここですが、マリア・コムネナはエルサレム王アモーリー1世の未亡人です。
テオドラ・コムネナという別のビザンツ帝国の皇女が、アモーリー1世の兄のボードワン3世と結婚しているので、こちらと混同されているものと思われます。
http://www.geocities.jp/byzantine9837/history/komnenos.html
(英文記事自体の内容がおかしいです)
この文がどちらの皇女(未亡人)を指しているかと言う点では、おそらくアモーリー1世の未亡人マリア・コムネナの方が正しいと思います。

Giftzwerg さん ご教示いただきありがとうございました

> トルコ,アルメニア,バグダードのアミール(土侯)
で「アミール」としたのは私の不注意でした.ご指摘に感謝いたします.

ただ,この段落は当時のイスラム世界でのサラディンの立場を示すものだと思いますので,emirs in Turkey / Armenia / Baghdad と解釈するのには多少のためらいを覚えます.理由は:

・文法上,emirs は修飾語ではなく被修飾語になるが,emirs (in Turkey) と Armenia, and Baghdad を同格で並べるのは不自然であること
・ムスリム陣営の内訌について述べている文脈上,キリスト教国であるキリキアのアルメニア王国よりは,アルメニア地方のムスリム政権の方が自然であること
・emir は長,ないしは指揮官を意味する言葉なので,実際に名乗った君主号に限定して解釈する必要はなく,ゲームでも曖昧な用語として使用されていること
# カリフがアミール・アル=ムーミニーン(信徒団の長)と呼ばれたのは有名ですね

マリア・コムネナについてはご指摘の通りです.実はアーモリーの寡婦であるところまでは知っており,気になってはいたのですが,テオドラ・コムネナの存在は知りませんでした.

おそらく Giftzwergさんの解釈の方が妥当なのでしょうが,照れ隠しに言い訳させていただきました.他にもお気付きの点がありましたら気兼ねなくご叱正ください

にゃまさん、Giftzwerg さん、いろいろとありがとうございました。

ゲームの方は入荷が若干遅れていますが、そろそろ着くと連絡がありました。

おかげで、よいルールブックができそうです。
ルール部分に関しては問題ないのですが、歴史解説はやはり詳しい方々に聞いてみるのが一番ですね。

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