無料ブログはココログ

« 『クルセイダーレックス』の翻訳 | トップページ | 『クルセイダーレックス』の翻訳その三 »

2005年10月10日 (月)

『クルセイダーレックス』の翻訳その二

前回と同様、背景がよくわからないもので、以下の訳文が正しいかどうか、どなたか検証して頂きたく思います。
全文じゃなくても結構ですので。
特に固有名詞の発音をお願いします。

Saladin & The Ayyubid Empire
Salah al-Din Yusuf ibn-Ayyub (shortened by the Franks as “Saladin”) was a Kurd born into high places. His father was the Governor of Tikrit in modern day Iraq, and a shrewd political advisor to both Zangi and Nur al-Din. His father’s brother – Shirkuh – was a veteran general of the Zangid Sultanate and commander of Nur al-Din’s military expedition in 1164 against Fatmid (Shiite) Egypt. The young Saladin joined his uncle on this bloody but successful conquest.
When Shirkuh died of illness in 1169, the 31 year-old Saladin inherited control of Egypt.
Tensions gradually rose between Saladin and his nominal lord in Damascus. Open war between the two loomed, but Nur al-Din died from an untimely illness in 1174. Saladin quickly marched an army into Damascus and seized power from the regency governing in the name of Nur al-Din’s 11 year-old son, al-Salih. Civil war ensued, but Zangid loyalists were no match for Saladin’s political savvy or military strength.
By 1186, Saladin controlled Egypt, Syria, most of the old County of Edessa, and all important city-states of Mesopotamia except Baghdad.
Saladin had a mixed reputation among his Islamic contemporaries. Many lionized him as a wise and compassionate ruler, a deeply devout Sunni Muslim, and the greatest hero in Arab history. Nearly as many, however, disparaged him as a cynical opportunist and power-hungry usurper more bent on war against fellow Muslims than the Crusader kingdoms.
The 3rd Crusade was called by Pope Gregory VIII in 1187 after Saladin defeated a Christian army at Hattin (near Tiberias) and then seized the entire Kingdom of Jerusalem except Tyre.

サラディンとアイユーブ朝
 サラーフ・アッディーン・ユースフ・イブン・アイユーブ(「サラディン」として知られる)は、クルド人の地位の高い家系の生まれです。彼の父は 現在のイラクにあるティクリートの総督で、ザンギーとヌル・アッディーンに洞察の深い意見を具申していました。彼の叔父-シルクフ-はザンギー朝の将軍で、1164年のヌル・アッディーンによる対シーア派のエジプト遠征における司令官でした。若いサラディンもこの叔父と一緒に従軍しました。シルクフは1169年に病死した時、31歳のサラディンはエジプトの統治を継承します。
 しかし、サラディンとダマスカスの領主との間に緊張が芽生え始めます。この2つの勢力は争いますが、結局、ヌール・アッディーンは1174年に病死してしまいます。これを聞いたサラディンは、直ちにダマスカスに入城して勢力を平定し、11歳になるヌール・アッディーンの息子アル・サリフの名の下に宰相政治を始めました。内戦は続きますが、ザンギー朝の擁護派はサラディンの政治的手腕と軍事力を受け入れることはありませんでした。1186年になると、サラディンはエジプト、シリア、エデッサ伯国の大部分、そしてバグダッドを除くメソポタミアの主要都市を全て支配していました。
 サラディンの評価は、当時のイスラム世界では大きく分かれます。大多数は、サラディンは賢明で寛容な統治者であり、非常に敬虔なスンニ派のムスリム、そしてアラブ史上最高の英雄だと考えています。しかし、一方では、シニカルな日和見主義者で、十字軍よりも同志ムスリムとの戦争に明け暮れ、権力の簒奪者と評価されています。
 第3回十字軍は、キリスト教軍隊がハッティン(ティベリア近郊)でサラディンに敗れた後、1187年にグレゴリウスVIII世の呼びかけによって行われ、レバノンを除くエルサレム王国を掌握したのでした。

« 『クルセイダーレックス』の翻訳 | トップページ | 『クルセイダーレックス』の翻訳その三 »

ゲーム」カテゴリの記事

コメント

・shortened by the Franks as "Saladin":フランク人は縮めて「サラディン」と呼んだ
・a shrewd political advisor:「有能な(頭の切れる)助言者」程度が妥当
・Fatmid (Shiite) Egypt:ファーティマ朝(シーア派)のエジプト
・his nominal lord in Damascus:ダマスクスにいる名目上の主君
・Open war between the two loomed:二勢力間には開戦の兆しが迫っていた

...and seized power from the regency governing in the name of Nur al-Din's 11 year-old son, al-Salih.
(サラディンは)ヌール・アッディーンの11歳になる息子アル・サーリフの名の下に行われた摂政政府から権力を剥奪した

..., but Zangid loyalists were no match for Saladin’s political savvy or military strength.
しかしザンギー朝の支持者はサラディンの政治的手腕と軍事力には対抗できなかった

・Sunni:日本ではスンナ派
・大多数は、…。しかし、一方では…:大多数の意見と少数意見の対立ではないので,「ある者は…。しかしある者は…」程度の方が妥当

Nearly as many, however, disparaged him as a cynical opportunist and power-hungry usurper more bent on war against fellow Muslims than the Crusader kingdoms.
しかしある者は彼を非難して,十字軍国家よりも同朋たるムスリムとの戦争にうつつをぬかすシニカルな日和見主義者にして権力欲に凝り固まった簒奪者だといった

The 3rd Crusade was called by Pope Gregory VIII in 1187 after Saladin defeated a Christian army at Hattin (near Tiberias) and then seized the entire Kingdom of Jerusalem except Tyre.
サラディンがハッティン(ティベリアス近郊)でキリスト教徒の軍勢を破り,ティルスを除くイェルサレム王国全土を奪い取った後,1187年に教皇グレゴリウス8世は第三回十字軍を呼びかけた.

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 『クルセイダーレックス』の翻訳 | トップページ | 『クルセイダーレックス』の翻訳その三 »

最近の写真

  • Tlnb2_2
  • Tlnb67_cover
  • Tlnb2
  • Photo_4
  • Photo_3
  • Photo_2
  • Dsssm
  • 2_2
  • 3_2
  • 1_2
  • 3
  • 2