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2005年1月16日 (日)

1月10日の『戦国大名』レポート

小野じゃ。

『戦国大名』は尼子・毛利・大友・龍造寺・島津の5氏でプレイ。
で、わしは大友。
劈頭から、島津氏のやまさんが大友に仕掛けていく。普段なら静観を決めこむやまさんには、珍しいスタイルである。戦闘力では群を抜く大友であるが、財政面では九州の最貧国なので、防御で手一杯。
島津としては、情勢が平穏だと立花道雪の重税で、自分の優位が損なわれることを憂慮したのだろうが、大友プレイヤーの技量をも鑑みれば、島津・大友共倒れは必至という情勢であった。
そして、もちろん、この間に龍造寺は着々とソロプレイを実行。誰憚る事なくビクトリーロードをひた走っていた。
何年間かの抗争の後、ようやく南方戦線も多少安定し、大友は豊前を完全支配する余力ができた。その勢いで重税を試みるも、不穏。その年の軍備フェイズ。
(ん~、豊前不穏やから、誰か置かなアカンやろなぁ。けど、道雪と軍勢を分けられへんし、そうなると、豊前に人手は回せんなぁ。本多作左1人だけ置いといたろか?『敵方家臣の調略』引かれても、俸禄6支払っても、1/2で裏切らへんし・・・。不穏の国で内政2では、イヤなこと、起こるかもしれんし。だいたい、本多作左にそんな金、積むこと自体イヤやし、やってくるとしたら、やっぱり道雪だろ。そもそも、誰も置かなくても、わし、豊前、失いそうじゃん。不穏なんだから。)
というわけで、本多作左・城5・不穏という配置で、豊前は翌年を迎えた。
そして、『敵方家臣の調略』を引いたのは、龍造寺だった。龍造寺家にはすでに加藤清正という素晴らしい家臣がいるので、道雪には関心を示さない。標的は豊前である。積まれた支度金はなんと、9!!6加増でサイコロ不要である。
こうして、豊前を自国領とした龍造寺氏は、長州と陸続きとなり、毛利氏と突然隣接することとなった。毛利の背後でいきなり高まる緊張感。
ゲームを始める時には、二人と三人に分かれてゲームしてるようなことになるんじゃないか、と思っていたが、少人数で、中国だけ、九州だけでやってるときにはこれは味わえない。やってみるものである。
ところで、本田作左である。龍造寺家が彼を討ち死にさせるまでに、支度金・俸禄合わせて18金。行軍費用で5金。兵1を失うから、それで1金。計24金が投じられ、それで、土一揆5城×2の発生した豊前の5城を手に入れたこととなった。
「これはある意味、逆経済戦争じゃないか・・・」と、やまさんがつぶやく。
まあ、毛利氏も雅な暮らしをしたり、朝廷から官位を授かったりして、国庫は空同然だったので、さして問題はない。龍造寺氏としては、大友対島津、毛利対尼子を介入できる位置を確保しながら眺めていられる立場を得た。
ところが、龍造寺は、間髪入れずすぐさま豊後に侵攻し、『城方の内応』を使って電撃的に制圧した。大友宗麟は肥後にて客死。以後大友プレイヤーは、肥後堀氏として島津の幕閣に加わった。
対大友戦がいきなり終了し、九州の南半を手中にした島津の反応は早かった。大名自ら海路筑後に上陸、堀氏も肥前の支配を大友から奪い取る。さらには、龍造寺家家臣加藤清正が筑前で独立。西国一の大大名を目指した龍造寺隆信は一夜にして、ジプシーとなってしまった。
九州の顛末は以上のごとくであった。

中国は圧倒的な毛利氏の前にどれほど抵抗できるか、と思われていたヨッシーがゲーム終了まで戦い抜き、まだ国力0まで到達していなかったのは上出来の部類ではなかろうか。
このゲームはなかなか滅ばないし、粘っていれば何かが起こるということもあるので、弱い大名を引いても、長期持久を図るのが他のプレイヤーに対しても失礼でない、といえるだろう。
例えば、実際に毛利元就が死去したときに、小早川隆景が石見で味方していれば、情勢は大きく変わってしまうのだから。ただし、それが実現したときには、小早川氏が尼子の家臣になるよりは、尼子が小早川氏に臣従する方が妥当な気がするけど・・・。なんといっても、収入も能力も小早川の方が上なんだし・・・。うわっ、情けな。
けど、尼子義久と山中鹿之助でプレイしてたら、小早川隆景なんて後光が射してみえるだろうな。

最後に、ハウスルールを一つ。
独立した家臣は、大名として扱う。
家臣が独立すると、白い城塞ではなくて、色つきの城塞を置く。変換の計算方法は変わらず。
城塞に変換される前の勢力は、新たに置かれた城塞の下にスタックさせて記録しておく。もちろん武将駒も。
この勢力は、服従工作の対象とはならない。が、『敵方家臣の調略』の対象にすることができる。
『敵方家臣の調略』により、プレイヤーの所有となった時点で、独立したときに置かれた城塞を取り除き、その下に積んである勢力として、帰順する。
誰の所有でもない間、その勢力に対する攻撃は攻城戦とカードにより行うことができる。
城塞戦力が減少すると、その下の勢力も減じる必要がある。
減らす順序は兵・城塞・武将となるだろう。

以前から、名のある武将がせっかく独立して、巨大な城塞になっても、服従工作で削られていくことに、物足りなさを感じていた。今回のプレイでももっと先へ進んで、龍造寺隆信が筑前の加藤氏を服従工作で滅ぼしていく、ということになれば、違和感が出てくることに同意できる人もいるんじゃないだろうか?
また、もし小早川氏が石見で独立していれば、そのとき裏切らなくても、火種を残せば、尼子のモチベーションも上がると思う。

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コメント

 小野さん長文お疲れです。
 九州・中国のみという変則地域でのプレイでしたが、全国シナリオでのこのメンバーに尼子はきつすぎです。誰が入れるって言い出したんだっけ?
 実際初年度の尼子の石見調略に失敗、小野道雪の重税失敗によりわれら二人の将来は既に暗雲たちこめてました。それと実際に尼子をやった感想では、尼子の戦闘力0、鹿之助の2だけなのが勢力決定でかなりしんどいです。なにかと序盤は軽視されがちな戦闘力ですが、はっきりいって0はかなりきついです。戦闘力があれば相手大名への侵攻抑止力としても無形の圧力になるし。
 あと弱い大名はどれだけ自分が可哀相かを相手に訴えかけて、無害を装うかが重要ですかね。もしかして心優しいデグさんのように侵攻の手が遅くなるかもしれません。臥薪嘗胆です。小野さん、またやりましょうね。

全国シナリオでは島津は、九州で一番の金持ちですし、それに大友は序盤、破産の危機に怯えていましたから、攻勢を仕掛けました。九州の大名を担当した時は、常に港を2個以上占領することを
目的としていますので、肥後、出来れば豊後をと、思ってましたが、残念ながら、戦闘力6は、あまりにも怖いので、後手に回ってしまいました。早めに港を複数占領し、南蛮貿易が来るのを、期待しようとも、それも叶わず。結局、龍造寺家が、突出しはじめたので、大友家と友誼を結び肥前に上陸となったわけです。

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