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2013年8月31日 (土)

新横浜のスーラータンメン

JGC2013で必ず通う店は、揚州商人です。
新メニューがありました。

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2013年8月30日 (金)

JGC2013が開幕しました

年に一度のアナログゲームの祭典、JGC2013が始まりました。
新横浜プリンスホテルで毎年夏に開催される、2泊3日の宿泊型イベントです。
弊社ゲーム事業部も出展しています。

大混雑です。

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2013年8月29日 (木)

気になる記事

今、流行のシェアハウスも、これからどんどん規制が厳しくなっていきます。

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2013年8月28日 (水)

退去の立ち会い

豊中市少路にあるマンションの退去の立ち会いでした。
ハウスクリーニング代を請求されましたが、賃貸借契約書に書いていないので払えません、と伝えました。必要ならば、きちんと賃貸借契約書に書いておかないといけません。

当社は、お世話させて頂いたお部屋の退去時に必要に応じて社員を立ち会いに派遣します(基本的に無料です)。
退去トラブルのご相談だけでも受付させて頂いています。


2013年8月27日 (火)

同い年

ご夫婦のお客様と新大阪で住宅ローンの打ち合わせが終わりました。

その場にいた4人全員が同い年ということがわかって話が飛び級で進む。

阪急三国駅周辺でマイホーム探してます。

2013年8月26日 (月)

心のデザート

お風呂あがりのアイスちう。

真ん中がおいちい。

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2013年8月25日 (日)

ヨッシーの結婚式

今日はヨッシーの結婚式でした。
チームのメンバーは全員、野球のユニフォームで出席して下さいとのこと。
新郎新婦は浴衣で登場、お色直しでアロハ姿の夏仕様。

大雨で電車が止まって遅刻者続出というハプニングもいい思い出です。

だけど、誰か雨男がいるにちがいない!

2013年8月24日 (土)

朝ドラは毎日見ています

あまちゃんがいよいよクライマックスに突入!

2013年8月23日 (金)

カミナリと大雨

大雨でBS放送が映らなくなりました…。
楽天の試合が、いいところでプツリ。
今日はマー君の先発なのでした。

2013年8月22日 (木)

ブリリア千里藤白台の入居者募集します

本日より入居者募集します。ご興味ある方は気軽にお声掛けください。
北千里にある閑静なマンションです!

室内はリフォーム済み。また、1階ですが、高台立地のため実質2階の高さがあってプライバシーが守られています。

お問い合わせは、kokado@midorishokusan.jp まで。

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2013年8月21日 (水)

パンクしちゃいました

自宅を出て、すぐに警告メッセージが出ました。
工事現場の横を通った時かも。

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2013年8月20日 (火)

雨が降らない夏

暑さとアイスの量は比例します。

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2013年8月19日 (月)

セイントヒル緑地の入居者募集します

本日より入居者募集します。ご興味ある方は気軽にお声掛けください。人気の北大阪急行、緑地公園駅から徒歩4分の閑静なマンションです!

室内は大変きれいにお使いです。

お問い合わせは、kokado@midorishokusan.jp まで。

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2013年8月18日 (日)

仕事終わりの一杯

ゲームイベントが終了して、二人でいっぷく中。
福岡より大阪の方が確実に暑いです。
飛行機で大阪に帰ってきました。

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2013年8月17日 (土)

福岡に出張しています

ゲームイベントの仕事で、福岡にやってきました。
鳥蔵の水だきでスタートして、鉄鍋餃子、ラーメンをハシゴしました。

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2013年8月16日 (金)

鋭気、充電中

今日は焼肉。明日から福岡出張なのです。

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2013年8月15日 (木)

ウォーゲームを一年がかりで遊ぶ会

昨日は、ゲーム盤を広げて駒を並べ終えたら夕方でした。
ゲーム盤右端にずらりと並ぶグレー色の駒がドイツ軍、オレンジ色がオランダ軍、緑色がベルギー軍、青色はフランス軍、まん中に少しだけあるのがイギリス軍です。ゲーム盤の左下のパリを目指します。

机はヒモで固定されていて、これから一年間置きっ放しになります。

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2013年8月14日 (水)

ウォーゲームを一年がかりで遊ぶ会

お盆休みを利用して、愛知県小牧市に集まってウォーゲーム会です。
しかも、ホテルに泊まって一泊二日。

今回のお題は『ブリッツクリーク・レジェンド』。1940年にドイツ軍がフランスを降伏させた戦いのウォーゲームで、今までの歴史的認識を覆す可能性を持っているのです。

デザイナーズノート
このゲームの名前は、『The Blitzkrieg Legend:The 1940 Campaign in the West』[訳注:原典はドイツ語の書籍『Blitzkrieg-Legende. Der Westfeldzug 1940』。邦訳『電撃戦という幻』大木毅・安藤公一共訳]という本からとられています。カール・ハインツ・フリーザー氏が執筆したこの本は、「1940 年の奇跡」がどのように起こったのかを詳細に分析し、それが当初から「電撃戦」として計画され実行されたという伝説が間違っていることを白日の下に晒しま した。この本は、この戦役を俯瞰する入門本や、この戦役の物語ではなく、戦役が勝利に向けて導かれる個々の局面を非常に詳しく述べたものです。
フリーザー氏の分析によれば、「電撃戦」の伝説は、この戦役が終わった後に作られたものです。フランスの敗北はドイツが新たに考案した電撃戦によるもの だと説明され、この戦略があまりにも革新的であったために連合軍が敗北したのはやむを得ないとされたのでした。電撃戦はナチスのプロパガンダでも、ヒト ラーによって新たに考案された革命的な戦争という伝説を作るために利用されました。このように、勝利した側にとっても敗北した側にとっても、電撃戦は好ま しいものとして受け入れられたのでした。
ところが、1940年のドイツ軍の成功は事前に計画されてそうなったものなのではなく、むしろこの戦役の間、ドイツ軍の上級司令部は予想以上の大成功に 怯えていたのです。実際、装甲部隊がセダンを突破した時、ヒトラーはそのことを「完全に奇跡だ」と言ったほどでした。ヒトラーと多くの老将軍達は、すぐに 装甲師団の前進スピードに懸念を示し、これはなにか連合軍の罠に突っ込んでいっているのではないかと考え始めました。この罠に対する恐怖と、幾人かのドイ ツ軍前線指揮官(特にグデーリアン)の独断の行動が、ダンケルク直前での停止命令の原因となったのでした。
私がディーン氏から最初に学んだことは、実際に起こった状況へ導くようにルールを作ってもうまくいかないということでした。それで私はデザインの力を抜 いて、OCSシリーズの長所を利用しようと考えました。アクション・レーティングや移動力、司令部の補給範囲等の基礎的な数値こそが、コマンド・コント ロールにおいて相対的な相違を見せられる数少ない明確な手段でした。最終的に私が目指したものは、当時のドイツ軍と連合軍の指揮官達が置かれた状況にプレ イヤー達に立ってもらえるゲームでした。圧倒的なドイツ軍の勝利が完全には確定していない状況を楽しめるように願っています。

デベロッパーズノート
まず最初に、私の胸の内を吐露させて下さい。私はこのゲームの名前の元となった本の内容にはあまり配慮していません。少なくとも、翻訳しながら『The Blitzkrieg Legend』を読むのは非常に長くつらい仕事です。私はRonald Powaski氏の『Light-ning War』やJulian Jackson氏の『The Fall of France』等のフリーザー氏の本のような軍事的に詳細に書かれているものよりも重要な部分を理解しやすくまとめている本の方がはるかに好みでした。 1969年のAlistair Horne氏の『To Lose a Battle』は少し古いですが、すばらしい本です。
あなたがどの本を読んだとしても、OCSのような複雑なルールシステムでさえ再現が難しい要素に溢れている戦役なのです。その重要な点をいくつか話しましょう。
マジノ線は恐らく、独仏国境全体を守るものとしては悪くないものでした。フランスの犠牲を考えれば、(ドイツと比較して)コンクリートを味方につけられ る優位がありました。この防御壁を構築するコストは戦車や飛行機を作るよりも安価だと考えられていました。ドイツも1930年代に(フランスとポーランド の国境に)堅固な防壁を築いていました。それに1940年の時点で、フランス軍は敵と比較して最新兵器の量が上回っていたのです。
マジノ線は、イギリス海峡まで到達していませんでした。マジノ線のない部分はセダン周辺から始まり、リール近くのベルギー国境に沿った工業地帯は全く要 塞化されていませんでした。海岸線近くの防御の弱い地域は、ディール川の線を要塞化する(ドイツ軍が攻撃してきた時に、イギリス大陸派遣軍とフランス軍が このベルギー中央の線を守備するものと事前に計画されていました)ことになっていたのですが、実際には全く行われませんでした。1940年当時、世界で最 も堅固だと宣伝されていたエバン・エマール要塞が、数日間はこの東の国境を保持できるものと期待されていたのです。
興味深いのは2つのニアミスです。ドイツ軍は、実は1939年から40年にかかる冬に攻撃を開始しようとしました(これは大失敗に終わったかもしれませ ん!)。ベルギー軍も、その1月にイギリス大陸派遣軍とフランス軍の「進駐」を許可し、ディール川沿いで連合軍部隊がドイツ軍と会敵するように計画されま した。墜落した飛行機が載せていたドイツ軍の攻撃計画の詳細を連合軍が入手していなかったならば、という仮定の話は、このゲームデザインの範囲を超えてい ます。
冬のドイツ軍の攻勢作戦は、恐らく1914年を繰り返すことになったでしょう。彼らは、強固に防御されている連合軍左翼までは前進したと想像できます。 しかし、この時の計画の目標は非常に限定されたものにすぎず、歴史上実際に行われたような決定的勝利を目指すものではありませんでした。飛行機の墜落に よってドイツ軍の攻撃計画のコピーを連合軍が手に入れたのではないかという恐れのために、その冬の攻撃戦略はアルデンヌの森を通り抜けることに主眼を置い たマンシュタインによる大胆な案に置き換えられることになったのです。その計画は、連合軍を2つに「鎌で切り」、決定的勝利を目指すものでした。
一方、連合軍も配置計画の修正を始めていました。政治的な理由により、兵力の配置によってオランダも支援する必要が出てきたのです。このため、フランス 第7軍が予備からディールラインの左にあるオランダのブレダ(Breda)周辺に配備されることになりました。しかし、この位置はミューズ川の突破に対応 できるところではなかったので、この強力な機動部隊はこの戦役の最初の四日間をオランダへ移動し、戻るためだけに時間を浪費することになりました(フラン ス第7軍はアントワープの北に着いてから、すぐに退却したのでした)。
フランス第7軍の運用の失敗とベルギーへの前進という戦略的な重大ミスを特別ルールによって再現する方法もありましたが、単に5月11日からゲームを始 めることにしました。そのため、ディール計画は(仮想戦のキャンペーンゲームを遊ばなければ)自動的に実行され、アルデンヌを通り抜けてくるドイツ軍に対 して、史実通り脆弱な側面をさらすことになります。
フランス軍の問題は、事前の移動計画が完了した5月12日に終わったわけではありませんでした。最高司令部では奇妙なことに、その指揮系統がガムランと ジョルジュの間で分割されており、両者の間や遠く隔たった前線との連絡は問題の多いものでした。連合軍司令部の広範囲に及ぶ指揮系統の問題は、司令部の補 給範囲の狭さや、予備モードや戦略移動モードのマーカーの数の少なさで表現されています。
この戦役に関するどの本を紐解いたにせよ、最前線でもドイツ軍とフランス軍のリーダーシップに大きな差があったと大きな印象を持つことでしょう。セダン やその他の数多くの決定的な戦いで、(第19軍団指揮官のハインツ・グデーリアンのように)ドイツ軍の将軍達は前線に立ち、自ら戦いを指揮していました。 ところが、同じ戦いでは、フランス第55師団の指揮官であったラフォンテーヌは戦闘中に司令部を避難させ、パニックを引き起こしていたのです。
セダンでのパニックは、長い冬の間に「なぜポーランドのために戦わなければならないのか?」といったプロパガンダ戦によって、フランス軍兵士の士気が低 下していたことを反映していました。さらに多くの部隊が消極的な状態になっていました。彼らは、大規模な機動演習や実弾を使った訓練に勤しまなかったので す。それとは対照的に、ドイツ軍はミューズ川の渡河訓練に励み、指揮や技量について磨きをかけていきました。
実のところ、1940年のフランス軍が何かに「励んで」いたということを書物から知ることはできません(逃げるということを除けば……)。戦前に「フラ ンスのグデーリアン」と知られていたフラヴィニー将軍でさえ、ストンヌでの反撃でいくつもの遅延を生じさせました。しかも、この攻撃は歩兵指揮官に戦術上 の指揮権を与え、戦車を支援車両として運用することで、電撃戦とは正反対のものに堕してしまいました。その手に力を持つどころか、自ら素手になってしまっ たのです。
私がこのゲームのディベロップを始める時に、ゲームデザイナーのHans Kishel氏が私に語ったことは、この戦役における連合軍の問題点を鋭く要約するものでした。それは、フランス軍がその中戦車を移動させる時には列車を 使用していた、ということです。中戦車は支援用の車両として設計されていたので、小さい燃料タンクしか持っておらず、列車によって運ばれるのでなければ信 じられないほど短距離しか移動できなかったのでした。さらにフランス軍は、戦車に積んで燃料補給できるジェリー缶を持っていませんでした。このため、フラ ンス軍は燃料を運ぶためにトラックに頼らざるを得なくなり、必要な時に必要な場所に存在することを困難にさせたのでした。さらに我々は特別ルールを作る誘 惑に打ち勝たなければなりませんでした-フランス軍戦車は低速ですが、通常の移動モードを持っています。
連合軍が失敗したことは当然としても、フランス軍の最前線にいた師団が善戦したことは特筆されるべきです。彼らはドイツ軍が得意とするテンポの速い戦闘 に対する準備が全くできていませんでした(これは移動モードの連合軍のARが低下している理由です)。それでも、(『クデーリアンズ・ブリッツクリーク Ⅱ』で)一年後にモスクワを防衛するソ連軍より質の高い部隊で、フランス軍プレイヤーはパリを守ることになるでしょう。
 我々はこれまで何度もOCSの中でドイツ軍を見てきたので、ドイツ軍のレーティング設定はかなり容易でした。一見してドイツ軍は優秀ですが、全てそうで はありません。ドイツ軍には、かなりの数の実戦経験のない部隊があり(それらはポーランド戦役後に編成されたものです)、それゆえ全般的なドイツ軍のAR は1941年のものほど高くはありません。電撃戦の主役である装甲師団にさえ専用トラックが与えられておらず、航空機はヒップシュート能力を持っていませ ん(これはスツーカにのみ与えられています)。このような状態にもかかわらず、ルフトヴァッフェとドイツ装甲師団との連携は強烈な印象を残します。
この戦役の直後に、連合軍はあまりにも早すぎる敗北を、「電撃戦」という革新的な戦闘メカニズムによってもたらされたものだと考えました-実際のとこ ろ、ドイツ軍の猛攻は重要な役割を果たしていたのです。しかし、本当の敗北の要因は全く陳腐なのものでした。オランダでは、戦争の新機軸となる劇的な空挺 降下作戦が実施されたことと、ドイツ第9装甲師団がロッテルダム郊外に5月13日に進撃したことが決定的でした(空挺降下した降下猟兵は、迅速に装甲師団 が到着しなければ全滅するところでした)。そして、ベルギーとフランスでは、連合軍は「ゆっくりとした」古い戦い方で負けたのでした-彼らはドイツ軍の機 動と意志決定の早さについていくことができなかったのです。しかし、そのことを考慮したとしても、連合軍がフランス第7軍を予備のままにしていれば、うま く対処できた可能性があります。
連合軍指揮官として、あなたはかなり困難な戦いに直面することでしょう。ドイツ国防軍はいわば500ポンド(約227kg)のゴリラです。さらに、自分 の部隊の少ない移動力とも常に苦闘するはずです。これは苛立ちを引き起こすでしょう。あなたが実行したいことでも、その移動を実行できるだけの鉄道輸送力 や移動力が不足しているのです。連合軍はミューズ川沿いの戦線をなるべく頑強に保持しながら、ベルギーの地歩を必要に応じて明け渡していくのがよいと戦略 です。連合軍はドイツ軍の装甲部隊に抱きついてクリンチし、釘付けにするだけの砲兵力は持っていますが、ミューズ川を越えて開けた野を走っていく装甲部隊 についていくのは絶望的な試みです。
史実では5月15日-ゲームでは3ターン終了時です!-にフランスのポール・レイノー首相はイギリスのウィンストン・チャーチル首相を呼び、連合軍はす でに敗北したことを告げました。オランダは前日の夜から武器を置き始め、さらにドイツ軍の装甲部隊がセダンからディナンにわたってミューズ川を押し渡り、 フランスの防御線の中央に幅50マイルの裂け目ができていることが明らかになっていたのでした。もちろん、この後も戦争は続きますが、この戦役は開始から 一週間以内に勝敗が決まっていたのでした。
連合軍の運命は最初から決まっていたのでしょうか? 同様に、これは学ぶ価値のある歴史的モデルでしょうか? これらは、フランス崩壊後70年を経た今 でも興味深い問題であり続けています。ドイツ軍が史実で進撃したコースを邪魔するために様々な「ゲーム的手法」を試みられましたが、それらはどれも第1 ターンの初期配置の時点ですでに連合軍のディール計画が発動されており、ドイツ軍のダブルターンに直面しなければならないことによって限定されたものに なっています。代わりに、鎌で刈ったところの背後にある危険を強調することで、もしドイツ軍部隊の到着を数ターンにわたって遅らせることができれば、彼ら の計画は頓挫してしまうことを発見するでしょう。ドイツ軍は最強の陸軍と空軍を持っており、リエージュを通過する1914年のルートを通ってでもパリに到 達することはができるかもしれません-しかし、そのルートは大量のSPと時間を必要し、このゲームにおける利点は多くありません。
プレイングを促進するために、いくつかの仕掛けを用意しています。5月10日のベルギーのアルデンヌ猟兵とオランダの軽師団の初期配置をランダム配置に しています。「ダイナモ作戦」シナリオでは、サイコロを振って直前ターンのドイツ軍の鉄道妨害の成否を決定してから始めます。また、より良い(希望の持て る)連合軍の作戦を試すことができるように、キャンペーンゲームでは様々な初期配置のバリエーションを用意しています。
『ブリッツクリーク・レジェンド』はビッグゲームなので、13ターンの長さのシナリオを遊んだとしても、早くは終わりません。しかしこのゲームも他の OCSゲームと同様に、、新しい戦略を試すために何度も繰り返して遊べるゲームです。大モルトケの言葉を引用すれば、完璧な戦略とは、その計画の中で想定 していなかったような難敵に(あるいは非常に不幸なダイスの目に)出会ったとしても柔軟に対応できるものなのです。これができる優秀なOCSプレイヤーは 熟考の後にリスクを取ります。そして、今遊んでいるゲームが終わったら、すぐに次の新しい戦略を試してくるのです。

ボックスアートもカッコイイのです!

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2013年8月13日 (火)

明日のためのその壱

次の仕事まで、明後日のゲーム会の予習中。
ルールブックは90ページあります。

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2013年8月12日 (月)

名月館のピビン冷麺

名月館で遅いランチ。
ピリ辛のピビン冷麺。
お盆中なので、昼焼肉のお客さんがいっぱいです。

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2013年8月11日 (日)

カブト会は満員御礼!

西宮市立学文公民館で、ウォーゲームの集まりがありました。

『戦国大名』を遊びました。簡単に言うと、プレイヤー全員が大名になって「信長の●望」をアナログで遊びます。

私が「大名死亡」を2回連続で引いてしまい、島津家を瓦解させた事件や、源義経を引き当てた直後に「家臣死亡」ですぐにいなくなって幽霊騒動があったりと、楽しいプレイングでした(笑)。

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2013年8月10日 (土)

かき紅茶

かき紅茶@阪急インターナショナルホテル。
別添のチップトリーのいちごジャムは、英国王室御用達だそうです。

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2013年8月 9日 (金)

ダイスバッグが山盛り

一昨年、アメリカのゲームイベント「オリジンズ」で買い付けてきたダイスバッグです。このメーカーのアイテムを日本で取り扱っているのは弊社のゲーム事業部だけです。
夏のゲームイベントで販売します。

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2013年8月 8日 (木)

新しい霧ヶ峰

性能が良すぎて寒いのでした…。

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2013年8月 7日 (水)

全日本不動産協会大阪府本部の取引相談委員会

本日は13時から、案件3つ。

ガッツリ系でした。

2013年8月 6日 (火)

引っ越し中

お客様の引っ越しの立ち会いでした。

オートロックが、なかなか煩わしい感じなのでした。

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2013年8月 5日 (月)

夏休み

今里の不動産屋さんから

「明日から一週間、夏休みなんです」

と言われました。

2013年8月 4日 (日)

ゲームイベントの仕事

本日は一日中、イベントスタッフの仕事でした@JR天満。
先週の名古屋と比べると、大阪のノリなのか、盛り上がり方が段違いなのでした。

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2013年8月 3日 (土)

夏期休暇のお知らせ

弊社のは14日(水)~15日(木)の2日間だけでお休みとさせて頂きます。

私自身は365日ずっと大丈夫ですので、お問い合わせの電話やメールは承ります。

よろしくお願い申し上げます。

2013年8月 2日 (金)

全日本不動産協会大阪東支部の理事会

10月に鹿児島に出張が決まりました。

飛行機で行くことになりました。

2013年8月 1日 (木)

8月の週末の予定(備忘録)

2日 全日本不動産協会大阪東支部の理事会
3日 予定なし
4日 ゲームイベントの仕事(大阪)
7日 全日本不動産協会大阪府本部の取引相談委員会(13時00分)
10日 結婚式の打ち合わせ
11日 ウォーゲーム会
14日 ウォーゲームを一年がかりで遊ぶ会(愛知県小牧市)
15日 ウォーゲームを一年がかりで遊ぶ会(愛知県小牧市)
17日 移動日
18日 ゲームイベントの仕事(福岡)
19日 全日本不動産協会大阪東支部の取引相談委員会(12時00分)
24日 アイアンクロスの試合(FDL、11時30分、柴島グラウンド)
25日 結婚式に出席
29日 移動日
30日 JGC2013(新横浜)
31日 JGC2013(新横浜)

今月は福岡と新横浜に出張です。

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