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この日プレイされたゲームは『聯合艦隊』、『ウクライナ'43』、『ASL』、『Ⅵ・アゲインスト・ローマ』、『信長後継者戦争』、『ユキムラズ・ラス ト・バトル』、『エネミー・アット・ザ・ゲイト』でした。RPG部は『AD&D+Hack Master』の1卓でした。 次回は8月9日(日)、大阪日本橋のボークス大阪ショールーム8階イベントフロアで開催します。興味のある方、どしどし参加して下さい。
ウクライナ43第2版
「後手からの一撃」--7月19,20日連続例会--
1 序
ツィタデル作戦においてわが軍が達成した大戦果にもかかわらず、敵ボルシェビキは、早くもその大軍を再建し、赤軍最優秀のフルッチョフ政治委員の指揮する4個方面軍による大攻勢を、わが南方軍集団に指向した。 当軍集団は、本官以下全将兵が一丸となり、決然これを邀撃した。
2 戦闘の経過
軍集団北翼は、ハリコフを守り抜き、第4ターンにはポルタワを東方の蛮族に占拠されたものの第9ターンにこれを奪回した。 (写真1は第5ターン終了時:ポルタワが下品な色の機甲編合部隊に占領されている。) (写真2は第6ターン終了時:傲れる赤軍に乾坤一擲反撃中のわが精鋭装甲部隊の勇姿。) (写真3は第9ターン終了時:ハリコフからスムイまでほぼ一直線の戦線が回復されるとともに、ポルタワに規律と秩序が復活した。)
軍集団南翼は、ドネツ盆地を失ったものの第9ターンに至ってもなお、ハリコフ東方約50キロをアゾフ海まで南下させた線を維持した。
ポルタワ奪回により第9ターン終了時の敵ソ連軍VPが「10」と、基準値「11」を下回ったことと、現状の戦況に鑑み、フルッチョフ政治委員は投了を宣言、東部戦線南翼における一大決戦はわが軍の勝利となった。
ソ連軍の投了時における未回復の損害は、戦車・機械化軍団2個、狙撃兵師団18個(9ユニット)、各種旅団5個である。 一方、わが軍の損害は、装甲師団1個、歩兵師団2個、保安師団1個、同盟国軍師団1個の他は突撃砲大隊2個であった。
3 「後手からの一撃」
(1)4週間前の練習対戦以降、研究を重ねたフルッチョフ政治委員は、わが軍にハリコフ放棄を余儀なくさせるため、ヴォロネジ方面軍主力がまずはスムイ方面から一挙に西進してわが軍の戦線を引き延ばし、その後南東に転じてハリコフ西部を南下する、という作戦を採った。 その間、南方面軍にも機甲編合部隊を集中させてドネツ盆地を攻略させ、VPはこちらで稼ぐという方針である。 第1ターンから第3ターンまで、フルッチョフの戦略は見事に機能した。
(2)ところが、いつも手堅いフルッチョフが欲にかられる状況が生じた。 第3ターン、第4ターンのわが装甲軍団の反撃の目が、6連続で「1」か「2」だったのだ(ちなみに、第4ターンまでのわが軍の目の平均はちょうど「2.5」。単に「3」を下回るというだけでなく、さらに「0.5」も下回ると、体感的には絶望的な目である。)。 ほとんどの結果がDRXで、精鋭ドイツ装甲師団が、暴徒の群れの狙撃兵どもと抱き合わせでどんどん消耗していく…。 悪夢である。
(3)これをチャンスと見たフルッチョフは、二つの戦車軍を含むその機甲大編合部隊をポルタワに向け、第5ターンに保安師団を壊滅させて同市を占領した。
(4)耐えに耐えた本官は、「きらめく報復の剣」を振るう瞬間を待った。 しかし、第5ターンの反撃も「5」「6」は全く出ない。 我慢強く、戦線の綻びを繕い、打撃部隊を捻り出すだけである。 それでも、幽鬼の如きわが軍の決死の反撃に畏れをなしたボルシェビキどもは、狙撃兵を4個師団(2ユニット)単位で捨て石に置き、後退を始めた。 もっとも、ポルタワには敵の戦車・機械化2個軍団+1個旅団が蟠踞したままである。
(5)そして、第6ターン、本官の剣は正義の光を纏った。 初めて、「6」が2回出たのである! 装甲擲弾兵師団「グロス・ドイッチュラント」、SS装甲擲弾兵師団「ヴィーキング」、及び第4、第9装甲師団の統合戦闘団からなる第48装甲軍団を先頭に、周囲の装甲師団が駆け付けては、東方の蛮族どもに鉄槌を下し始めた。
(6)第7ターンも敵は、戦車軍を守るために狙撃兵の大群を人身御供として差し出し、後退を続けた。 しかし、もう逃がさない。 「パンツァー・マルシュ!」 「フォイア!」 2連続「6」である! パンツァー・カイルでウクライナの大地を進むわが戦車、これに追随する装甲擲弾兵。 ついにわが軍は、ボルシェビキに大損害を与え、ハリコフとスムイを結ぶ線にまで後退させた。
「後手からの一撃」が成ったのである。
4 追記
ウクライナ43のドイツ軍は、最初から最後まで冷や冷やモノである。 ましてや相手は、最強の宿敵フルッチョフである。 自ら望んで「後手からの一撃」としたわけではないことを付言しておく。
フルッチョフ政治委員と大変充実した2日間を過ごせ、指揮官冥利につきるとともに、感謝申し上げる。
なお、ギャラリー多数から、「今回の元帥にお褒めのお言葉を。」との請願があったにもかかわらず、総統のお言葉は以下のとおりであった。 「パウル君。なぜヴォルガを越えていないのか?貴官は、東部戦域においてわが軍がなすべきことを理解していたのかね?」
ドイツ国防軍 南方軍集団総司令官
元帥 パウル・K・マンシュタイン
投稿: パウルK | 2015年8月 4日 (火) 10時58分
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ウクライナ43第2版
「後手からの一撃」--7月19,20日連続例会--
1 序
ツィタデル作戦においてわが軍が達成した大戦果にもかかわらず、敵ボルシェビキは、早くもその大軍を再建し、赤軍最優秀のフルッチョフ政治委員の指揮する4個方面軍による大攻勢を、わが南方軍集団に指向した。
当軍集団は、本官以下全将兵が一丸となり、決然これを邀撃した。
2 戦闘の経過
軍集団北翼は、ハリコフを守り抜き、第4ターンにはポルタワを東方の蛮族に占拠されたものの第9ターンにこれを奪回した。
(写真1は第5ターン終了時:ポルタワが下品な色の機甲編合部隊に占領されている。)
(写真2は第6ターン終了時:傲れる赤軍に乾坤一擲反撃中のわが精鋭装甲部隊の勇姿。)
(写真3は第9ターン終了時:ハリコフからスムイまでほぼ一直線の戦線が回復されるとともに、ポルタワに規律と秩序が復活した。)
軍集団南翼は、ドネツ盆地を失ったものの第9ターンに至ってもなお、ハリコフ東方約50キロをアゾフ海まで南下させた線を維持した。
ポルタワ奪回により第9ターン終了時の敵ソ連軍VPが「10」と、基準値「11」を下回ったことと、現状の戦況に鑑み、フルッチョフ政治委員は投了を宣言、東部戦線南翼における一大決戦はわが軍の勝利となった。
ソ連軍の投了時における未回復の損害は、戦車・機械化軍団2個、狙撃兵師団18個(9ユニット)、各種旅団5個である。
一方、わが軍の損害は、装甲師団1個、歩兵師団2個、保安師団1個、同盟国軍師団1個の他は突撃砲大隊2個であった。
3 「後手からの一撃」
(1)4週間前の練習対戦以降、研究を重ねたフルッチョフ政治委員は、わが軍にハリコフ放棄を余儀なくさせるため、ヴォロネジ方面軍主力がまずはスムイ方面から一挙に西進してわが軍の戦線を引き延ばし、その後南東に転じてハリコフ西部を南下する、という作戦を採った。
その間、南方面軍にも機甲編合部隊を集中させてドネツ盆地を攻略させ、VPはこちらで稼ぐという方針である。
第1ターンから第3ターンまで、フルッチョフの戦略は見事に機能した。
(2)ところが、いつも手堅いフルッチョフが欲にかられる状況が生じた。
第3ターン、第4ターンのわが装甲軍団の反撃の目が、6連続で「1」か「2」だったのだ(ちなみに、第4ターンまでのわが軍の目の平均はちょうど「2.5」。単に「3」を下回るというだけでなく、さらに「0.5」も下回ると、体感的には絶望的な目である。)。
ほとんどの結果がDRXで、精鋭ドイツ装甲師団が、暴徒の群れの狙撃兵どもと抱き合わせでどんどん消耗していく…。
悪夢である。
(3)これをチャンスと見たフルッチョフは、二つの戦車軍を含むその機甲大編合部隊をポルタワに向け、第5ターンに保安師団を壊滅させて同市を占領した。
(4)耐えに耐えた本官は、「きらめく報復の剣」を振るう瞬間を待った。
しかし、第5ターンの反撃も「5」「6」は全く出ない。
我慢強く、戦線の綻びを繕い、打撃部隊を捻り出すだけである。
それでも、幽鬼の如きわが軍の決死の反撃に畏れをなしたボルシェビキどもは、狙撃兵を4個師団(2ユニット)単位で捨て石に置き、後退を始めた。
もっとも、ポルタワには敵の戦車・機械化2個軍団+1個旅団が蟠踞したままである。
(5)そして、第6ターン、本官の剣は正義の光を纏った。
初めて、「6」が2回出たのである!
装甲擲弾兵師団「グロス・ドイッチュラント」、SS装甲擲弾兵師団「ヴィーキング」、及び第4、第9装甲師団の統合戦闘団からなる第48装甲軍団を先頭に、周囲の装甲師団が駆け付けては、東方の蛮族どもに鉄槌を下し始めた。
(6)第7ターンも敵は、戦車軍を守るために狙撃兵の大群を人身御供として差し出し、後退を続けた。
しかし、もう逃がさない。
「パンツァー・マルシュ!」
「フォイア!」
2連続「6」である!
パンツァー・カイルでウクライナの大地を進むわが戦車、これに追随する装甲擲弾兵。
ついにわが軍は、ボルシェビキに大損害を与え、ハリコフとスムイを結ぶ線にまで後退させた。
「後手からの一撃」が成ったのである。
4 追記
ウクライナ43のドイツ軍は、最初から最後まで冷や冷やモノである。
ましてや相手は、最強の宿敵フルッチョフである。
自ら望んで「後手からの一撃」としたわけではないことを付言しておく。
フルッチョフ政治委員と大変充実した2日間を過ごせ、指揮官冥利につきるとともに、感謝申し上げる。
なお、ギャラリー多数から、「今回の元帥にお褒めのお言葉を。」との請願があったにもかかわらず、総統のお言葉は以下のとおりであった。
「パウル君。なぜヴォルガを越えていないのか?貴官は、東部戦域においてわが軍がなすべきことを理解していたのかね?」
ドイツ国防軍 南方軍集団総司令官
元帥 パウル・K・マンシュタイン
投稿: パウルK | 2015年8月 4日 (火) 10時58分